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コールサック 91号 詩




ビン女史の「真の想い」 
 ベトナム詩篇 二〇一七年七月三十一日~八月五日



1 ビン女史の「真の想い」


バイクや自動車の騒音に競うように
ハノイのタマリンドやバンランの街路樹には
蟬の鳴き声が絶えず響いていた

ベトナム平和発展基金を表敬訪問すると
ビン女史は平松伴子さんと再会するや
懐かしい異国から戻った娘のように
抱き合い手を握って離さなかった

パリ和平会談に現れた解放戦線の外相で
アメリカのベトナムからの撤退を促す演説をするため
マイクを握りしめた手は今もしなやかだ

その手は私たちのささやかな土産を受け取ると
出来たばかりの六百頁を超える回顧録にサインをして
平松さんと私に手渡してくれた

その新しい回顧録の題名は『祖国への真の想い』だと
通訳のアンさんが伝えてくれる
私の手はその遺言ともいえる回顧録を抱きしめる

平松さんの評伝『世界を動かした女性 グエン・ティ・ビン』
とビン女史の回顧録『家族、仲間、そして家族』日本語版と
『ベトナム独立・自由鎮魂詩集175篇』を
編集した私の名前や姿も懐かしんでくれた

旅の目的はビン女史の故郷クアンナム省の
ダイオキシン被害者たちの実態調査と支援活動
家を建て直す被害者たちに支援金を手渡すこと
さらにベトナムに太陽光発電を勧めることだ

ようやくビン女史は平松さんの手を放し
クアンナム省の友好協会連合に日本人の支援金を届け
「仁愛の家」の資金にするように指示される

九十歳を超えたビン女史は平松さんと訪問団に会うため
検査中の病院を一時抜けてきたらしい
ベトナムの「真の想い」を体験する旅が始まった


2 ホーおじさんの執務室


献花を二人の衛兵に手渡すと
腿から足を上げる儀礼の歩行で
献花は舞踏のように廟の玄関に備えられた

ホーチミン大統領の亡骸は少し上体を浮かして
静かな夕暮れの赤味がかった白光に包まれて
いまも目を閉じた瞬間のように存在した

正面まで来た時に気遣いの声を掛けて
衛兵たちが立ち止まってもいいという
国を創り上げた人物に敬意をこめて合掌した

廟の外に出ると「ホーおじさんの家」に向かった
多くの樹木に囲まれて小さな二階建ての家があった
書斎の机の蛍光傘から赤味を帯びた白光が漏れている

その赤味を帯びた白光は「ホーおじさん」の命が
今もこの書斎や廟の遺骸に宿っていることを
私や見る者たちに強く感じさせた

「わたしの遺体を火葬にして、灰を三つに分け、
北部、中部、南部の人たちのために、それぞれの丘陵に
埋めてほしい」と「ホーおじさん」は遺言した

なぜかその「ホーおじさん」の遺言は今でも守られていない
きっとホーチミン大統領は未だ死んではいないのだろう
ベトナム民衆が彼を必要とする限り生き続けるのだろう

この机で書かれた多くの書類によって
ベトナムは今日のような繁栄を築いたのだろうか
みの笠を被った庭師が木々や花々の手入れをしていた

池には木の根が水中から顔を出し
平松さんはそれを「木仏」のようだと言い
私たちはその前を通る時に木仏に合掌してしまった



3 アンさんの笑顔の秘密


クアンナム省の元解放軍兵のツックさんは六十三歳
戦争中に枯葉剤を浴びたという
奥さんは五十六歳で四人の子供がいる

末娘のアンさんは生まれた時に身体が柔らかく
二歳になって這いはじめ四歳になって初めて立つことができた
七歳の時にその原因がダイオキシンの影響だとわかった

アンさんは一五歳で一四〇㎝の背丈でほとんど盲目だ
内股で絶えず動いて意味の分らない奇声を発している
キラキラした目をして素敵な笑顔を振りまいている

その笑顔が純粋で私たちの話し声に反応しているのだろう
うりざね顔のベトナム美人になるはずだったアンさんは
排便が大変なのでいつもおむつが必要だという

トットさん夫婦は私たちがプレゼントを手渡すとお礼に
奥さんがランブータンの果物と生ジュースを出してくれた
手絞りされたパッションフルーツはとびきり美味しかった

トットさんは私たちの取材の後に次のような挨拶をした
遠い日本からこの暑いベトナムに来て下さり感激しています
皆様のご支援により広い家に建て直すことができた

木の柵で囲った狭い場所から娘に一部屋を与えることができた
家を建て直す資金の支援をして下さった日本の多くの皆様に
どうか感謝とお礼の言葉をお伝え下さい

アンさんの笑顔がとても素敵なのできっと
お二人の愛情が深いからではないかと私が伝えると
トットさんはいつもお風呂に入れて添い寝をするといい
父がいないとアンさんは眠れないからだと打ち明けた

私たちはベトナムの父母の愛情の深さに触れ
家の前の草の上に水牛の親子が寝そべり
村人や父母の愛で包まれた新しい家を後にした



4 兵士の夫に詩を贈った妻



ザンさんは、村の軍隊に入った最初の夫と死別した後に
二人目の軍人だった夫と再婚し二人の子供が誕生した
夫がダイオキシンに汚染されていて子供たちも被害者となった

娘は三十七歳で耳が聞こえないし
目も見えにくく、顔の形が普通ではない
今は施設に入り介護をしてもらっている

息子は四十歳で、ダイオキシンのことを隠して結婚した
ダイオキシン被害者が結婚することは認められないらしい
息子の子供三人の内の二人は障害があるという

息子さんの子供への質問をこれ以上続けると
隠していることを明らかにしてしまう恐れがあり
私たちは詳しい質問を打ち切った

ザンさんは二番目の夫の勤めていた会社と
日本からの資金援助と家を売ったお金で新居を建てた。
心臓の持病を抱えながらも明るく語った

別れ際に戦争中に山の中にいた兵士の夫を励ますために
贈った詩を私たちに暗唱してくれた
「アメリカは爆弾を背負って、国に逃げ帰って行った」
という意味の戦争に勝利することを願う詩だった

ザンさんは家族が三代にわたり病に苦しむ時にも
自分の気持ちを整えて詩を作って暗唱してきたという
詩があったから救われたとも語ってくれた
七十五歳のザンさんの笑顔は詩の女神のように輝いていた



5 クアンナム省の人びと


一八五八年にベトナムに侵略したフランスも
その後のアメリカもダナン軍港やクアンナムの中部を抑えた
ビン女史がクアンナム省を語る時には
故郷の人びとの過酷さを思い起こしているのだろう

クアンナム省に四~十三世紀に栄えた聖地ミーソン遺跡がある
夏の山岳地帯を登っていくとミンミン蟬が鳴き続けている
ヒンズー教徒の煉瓦造り寺院跡は千年の神話に誘ってくれる

ベトナム戦争で米軍は解放軍が潜んでいるとして爆撃をした
人類的な価値のある千年王国の遺跡は多くを破壊された
ダイオキシンの枯葉剤も酷いがミーソン遺跡の破壊も酷い

残された遺跡のレンガの隙間には米が接着剤として使用され
寸分の隙間もなく密着し積み重ねられている
修復後の積み上げられた煉瓦の間に草が生えて劣化していた

ベトナム戦争時代に兵士になった子の母は英雄母となった
グエン・ティ・トゥさんは九人の子と親戚の子二人を亡くした
その母と戦死した十一人の子の顔を彫刻にした記念館がある

母たちは線香立てや灯り立てを使い米軍が来た情報を伝えた
竹の太鼓でも母たちは米軍の襲撃の危険を知らせ合い
母のこぐ船で武器や食料を運んだという

クアンナム省はかつて含まれていたダナンの南部にあり
ビン女史の出身地で最もダイオキシン被害の大きい省だ
祖父のファン・チュウ・チンの旧家である記念館ができた

ホーチミン大統領は父の友人であるファン・チュウ・チンと
フランスで出会い「民権思想」や「独立思想」の影響を受けた
フランス時代の写真や多くの著書に交じり
平松さんのビン女史の評伝も並べられていた

クアンナム省に二千年の海外交流の歴史があるホイアンがあり
世界遺産の街は日本橋を作った日本人を同胞のように語り継ぎ
日本橋はベトナム人と日本人の友情の架け橋として存在する

ホイアンの日本橋近くの川岸のレストランには
ビンローの木陰で真夏でも川風が吹き涼しく感じる
ホイアン名物のバインホアホンを食べながら
私たちはベトナム人の謙虚さと粘り強さを褒め称えている
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  1. 2017/08/31(木) 16:32:11|
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