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メールマガジン編集者のエッセイ2017年1月

鈴木比佐雄


冬の陽射しも少し温かになり、道端の日溜まりの緑に眼をやると、
白いタネツケバナや紫のホトケノザの花々が萌黄色の葉から顔を見せている。
春はもうすぐに訪れそうだが、世界はテロや戦争やナショナリズムの
高揚によって厳冬に舞い戻ってしまうような寒さを感じさせる。
しかしそれだけでなく身近なところでは心身が凍り付くような
出来事が次々に起こっている。東電福島第一原発事故で避難した
子供たちを虐めてお金を恐喝した横浜の小学校の生徒の事件の根本原因は、
原発を引き起こしたものや原発の発電を享受した者たちが法的にも
道義的にも痛みを負わないことに起因しているからだろう。
子供の事件の背景には親たちの言動や社会の風潮の矛盾が色濃く
反映しているのであり、原発事故の責任を福島の子供たちに
負わせて恥じない日本社会は、他者の痛みに対して鈍感どころか、
他者の痛みを弄ぶような風潮を抱え込んでしまっているように思われる。

昨年の11月23日には、自宅の柏市から福島県南相馬市の
若松丈太郎さんの家に車で向かった。若松さんと新しい評論集などの
打合せのためだが、半年ぶりに福島の浜通りをこの目で見たいと願ったからだ。
常磐高速道は全線開通しているが、南相馬市手前のメルトダウンした
第一原発のある大熊町のあるインターチェンジで降りる。
相変わらず桜並木で有名だった町は警備員たちが不審者をチェックしていた。
国道六号線でその後の大熊町・双葉町・浪江町・南相馬市の小高区などの
若松さんの住む原町区に続く光景を見ていくと、震災・原発事故から
六年近くが経ち、沿道の人のいない店や家は何もなかったかのように
必死にその存在感を晒していた。よく見ると少し朽ち始めているのが分かる。
朽ち始めていない家は、家主が手入れに来ているのかも知れない。
常磐線の線路のある四キロ先まで津波はやってきたのだった。
田畑には汚染された土壌などを入れた黒いフレコンバッグが山積みされている。
この気の遠くなるような膨大なフレコンバッグを第一原発立地町である
大熊町や双葉町だけでなく、浜通りは十字架のように背負って
いかなくてはならないのか。浪江町に暮らしていた詩人の根本昌幸さんと
みうらひろこさん夫婦が、先祖伝来の地に戻ることはいつになったら可能だろうか。
その日が来ることを心から願いながら車を走らせた。
若松さんとは、南相馬市出身で誰もしなかった個性的な研究や業績を
残した人物のエッセイ集の打合せをした。その中にはかつての小高町出身で
戦後すぐに「憲法研究会」を立ち上げて自由民権運動の頃からの
私擬憲法や世界の憲法を参考にして「憲法草案要綱」をまとめた
憲法学者鈴木安蔵がいた。そんなGHQにも参考にされ日本国憲法にも
影響を与えた人物が実は、戦前は治安維持法で獄中にもつながれていて
短歌も書いていた。その原稿を関係者から入手していると若松さんは語った。
私はぜひその短歌についても書いて欲しいとお願いしたところ、
それでは書いてみようかと快諾してくれた。いま日本国憲法は立憲主義を
否定する総理大臣や閣僚や官僚たちからその理念を否定されようとしている。
憲法の戦争を放棄する平和主義も、基本的人権も、生存権も、男女同権、
表現の自由なども軽視されていつの間にかなし崩しにされようとしている。
昨年の12月初めよりコールサック社は『日本国憲法の理念を語り継ぐ詩集』を
公募開始した。締め切りは3月10日ですので、ぜひ参加して欲しいと願っています。
憲法の精神をしなやかな言葉でお書き下されば幸いです。

1月には堀田京子詩集『畦道の詩(うた)』、
勝嶋啓太詩集『今夜はいつもより星が多いみたいだ』、
福司満秋田白神方言詩集『友(やづ)ぁ何処(ど)サ行(え)った』、
キャロリン・メアリー・クリーフェルド日英詩画集『神様がくれたキス』が刊行された。
どの本にも製作過程で素敵なドラマがあった。
ぜひ多くの人びとにお読み頂ければ幸いです。

それから若松さんと別れた後に、私は父母の出身地のいわき市薄磯に向かった。
その後に次のような詩を書いた。お読み下されば幸いです。


薄磯の疼(うず)きとドングリ林


ザーザーザーザーと昼下がりの海が鳴り響く
塩屋埼灯台の下に広がる薄磯の砂浜で少年の私は
半世紀前の夏休みに背丈を越える荒波にもまれていた
夕暮れ近くになると腰の曲がった祖母が
防潮堤から手を振って夕食を教えてくれた
卓袱台には鰹の刺身が大皿に盛られていた
働き者で身体が衰えても田植えに行くと聞かなかった
防潮堤の後ろに先祖の墓地や玉蜀黍(トウモロコシ)畑が広がっていた
それから祖母が亡くなりその墓地に埋葬されたと聞いた
今も祖母の葬儀に行けなかったことが疼いている
コケコッコーと鶏が日の出の海風を切り裂いていった
従兄と豚の餌のためリヤカーを引いて近所を回った
伯父の行商の軽トラックに乗って山道を越えて
豊間や江名や沼ノ内などに魚売りの手伝いをした
帰りに薄磯の砂浜に降りて伯父と駆けっこをした
それから多くの時間が流れ伯父の葬儀の時に
お清めの場所になったのは墓地跡の公民館だった
墓地は山に移転されたと従姉妹から聞かされた
二〇一六年十一月二十三日の薄磯の砂浜で
ザーザーザーザーと日没後の黒い波音が鳴り響く
二〇一一年四月十日には胸張り裂ける波音を聞いていた
母の実家や公民館や豊間中学の体育館が破壊された疼き
いま以前よりも二m高い七・二mの防潮堤が建設中で
町の跡に幅五十m高さ十・二mの防災緑地の土が運ばれ
里山からのドングリを植えるプロジェクトが進行中だ
親族を含め百二十名以上が流されたこの町がいつの日か
ドングリ林と先祖の眠る墓地跡から守られることを願う
流された命よ魂よ 還っておいで いつでもいいから
ザーザーザーザーと朝陽に輝く白波が打ち寄せる
      (福島民報 2017年元旦掲載)



鈴木比佐雄


冬の陽射しも少し温かになり、道端の日溜まりの緑に眼をやると、
白いタネツケバナや紫のホトケノザの花々が萌黄色の葉から顔を見せている。
春はもうすぐに訪れそうだが、世界はテロや戦争やナショナリズムの
高揚によって厳冬に舞い戻ってしまうような寒さを感じさせる。
しかしそれだけでなく身近なところでは心身が凍り付くような
出来事が次々に起こっている。東電福島第一原発事故で避難した
子供たちを虐めてお金を恐喝した横浜の小学校の生徒の事件の根本原因は、
原発を引き起こしたものや原発の発電を享受した者たちが法的にも
道義的にも痛みを負わないことに起因しているからだろう。
子供の事件の背景には親たちの言動や社会の風潮の矛盾が色濃く
反映しているのであり、原発事故の責任を福島の子供たちに
負わせて恥じない日本社会は、他者の痛みに対して鈍感どころか、
他者の痛みを弄ぶような風潮を抱え込んでしまっているように思われる。

昨年の11月23日には、自宅の柏市から福島県南相馬市の
若松丈太郎さんの家に車で向かった。若松さんと新しい評論集などの
打合せのためだが、半年ぶりに福島の浜通りをこの目で見たいと願ったからだ。
常磐高速道は全線開通しているが、南相馬市手前のメルトダウンした
第一原発のある大熊町のあるインターチェンジで降りる。
相変わらず桜並木で有名だった町は警備員たちが不審者をチェックしていた。
国道六号線でその後の大熊町・双葉町・浪江町・南相馬市の小高区などの
若松さんの住む原町区に続く光景を見ていくと、震災・原発事故から
六年近くが経ち、沿道の人のいない店や家は何もなかったかのように
必死にその存在感を晒していた。よく見ると少し朽ち始めているのが分かる。
朽ち始めていない家は、家主が手入れに来ているのかも知れない。
常磐線の線路のある四キロ先まで津波はやってきたのだった。
田畑には汚染された土壌などを入れた黒いフレコンバッグが山積みされている。
この気の遠くなるような膨大なフレコンバッグを第一原発立地町である
大熊町や双葉町だけでなく、浜通りは十字架のように背負って
いかなくてはならないのか。浪江町に暮らしていた詩人の根本昌幸さんと
みうらひろこさん夫婦が、先祖伝来の地に戻ることはいつになったら可能だろうか。
その日が来ることを心から願いながら車を走らせた。
若松さんとは、南相馬市出身で誰もしなかった個性的な研究や業績を
残した人物のエッセイ集の打合せをした。その中にはかつての小高町出身で
戦後すぐに「憲法研究会」を立ち上げて自由民権運動の頃からの
私擬憲法や世界の憲法を参考にして「憲法草案要綱」をまとめた
憲法学者鈴木安蔵がいた。そんなGHQにも参考にされ日本国憲法にも
影響を与えた人物が実は、戦前は治安維持法で獄中にもつながれていて
短歌も書いていた。その原稿を関係者から入手していると若松さんは語った。
私はぜひその短歌についても書いて欲しいとお願いしたところ、
それでは書いてみようかと快諾してくれた。いま日本国憲法は立憲主義を
否定する総理大臣や閣僚や官僚たちからその理念を否定されようとしている。
憲法の戦争を放棄する平和主義も、基本的人権も、生存権も、男女同権、
表現の自由なども軽視されていつの間にかなし崩しにされようとしている。
昨年の12月初めよりコールサック社は『日本国憲法の理念を語り継ぐ詩集』を
公募開始した。締め切りは3月10日ですので、ぜひ参加して欲しいと願っています。
憲法の精神をしなやかな言葉でお書き下されば幸いです。

1月には堀田京子詩集『畦道の詩(うた)』、
勝嶋啓太詩集『今夜はいつもより星が多いみたいだ』、
福司満秋田白神方言詩集『友(やづ)ぁ何処(ど)サ行(え)った』、
キャロリン・メアリー・クリーフェルド日英詩画集『神様がくれたキス』が刊行された。
どの本にも製作過程で素敵なドラマがあった。
ぜひ多くの人びとにお読み頂ければ幸いです。

それから若松さんと別れた後に、私は父母の出身地のいわき市薄磯に向かった。
その後に次のような詩を書いた。お読み下されば幸いです。


薄磯の疼(うず)きとドングリ林


ザーザーザーザーと昼下がりの海が鳴り響く
塩屋埼灯台の下に広がる薄磯の砂浜で少年の私は
半世紀前の夏休みに背丈を越える荒波にもまれていた
夕暮れ近くになると腰の曲がった祖母が
防潮堤から手を振って夕食を教えてくれた
卓袱台には鰹の刺身が大皿に盛られていた
働き者で身体が衰えても田植えに行くと聞かなかった
防潮堤の後ろに先祖の墓地や玉蜀黍(トウモロコシ)畑が広がっていた
それから祖母が亡くなりその墓地に埋葬されたと聞いた
今も祖母の葬儀に行けなかったことが疼いている
コケコッコーと鶏が日の出の海風を切り裂いていった
従兄と豚の餌のためリヤカーを引いて近所を回った
伯父の行商の軽トラックに乗って山道を越えて
豊間や江名や沼ノ内などに魚売りの手伝いをした
帰りに薄磯の砂浜に降りて伯父と駆けっこをした
それから多くの時間が流れ伯父の葬儀の時に
お清めの場所になったのは墓地跡の公民館だった
墓地は山に移転されたと従姉妹から聞かされた
二〇一六年十一月二十三日の薄磯の砂浜で
ザーザーザーザーと日没後の黒い波音が鳴り響く
二〇一一年四月十日には胸張り裂ける波音を聞いていた
母の実家や公民館や豊間中学の体育館が破壊された疼き
いま以前よりも二m高い七・二mの防潮堤が建設中で
町の跡に幅五十m高さ十・二mの防災緑地の土が運ばれ
里山からのドングリを植えるプロジェクトが進行中だ
親族を含め百二十名以上が流されたこの町がいつの日か
ドングリ林と先祖の眠る墓地跡から守られることを願う
流された命よ魂よ 還っておいで いつでもいいから
ザーザーザーザーと朝陽に輝く白波が打ち寄せる
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