コールサック88号

青島に寄せる七篇      鈴木 比佐雄

1 青島の夕暮れ  

初めて見る黄海の青島の海の色は
薄い緑が溶け込んでいた
山東半島の入江の残照が海面を刷いていき
光の粒が一つ一つ海に消えていった
夕暮れのひとときを
若者たちが群れ集い
浜辺の遊歩道に面したカフェで海を見て
眼を輝かして笑い声を立てていた

さっき初めて青島空港で出会った
中国の詩人五名の林莽さん、高建剛さん、李占剛さん、
盧戎さん、沈胜哲さんと
日本の詩人三名の苗村吉昭、中村純、鈴木比佐雄が
浜辺のカフェに入ると奥の若者たちが席を空けてくれた
八人は名物の青島ビールやスイーツを頼み
緑色の小瓶のビールが運ばれてきた
底が鈍角に傾く不安定なグラスにビールが注がれ
乾杯が何度も繰り返された
暮れていく海辺の穏やかな光に包まれて
私たちはライチを摘まみにして
一九〇三年創業のラベルの付いた青島ビールの深い味わいに
不思議な酔いを感じてしまった
ロシアから旅順を奪ったように日本は英国と同盟し
一九一四年の青島の戦いによってドイツから青島を奪った
ドイツ人は青島ビールを残したが日本人は何を残したのか

一九二〇年代半ばに日中のハーフの詩人の黄瀛は
青島日本中学校にいて広東嶺にいた草野心平を呼び寄せて
私たちのように青島ビールを飲んで
「銅鑼」を構想し宮沢賢治を誘おうと話し合ったのだろうか
底が傾いた不安定なグラスに何杯もビールを注いで
日中の詩について語り合っていると
百年前の日中戦争の始まる前の異次元に迷い込んだように
青島の薄緑の海は私たちを包み込むように暮れていった



2 青島の夜のヨットハーバー

青島の港は未だ北京オリンピックのヨット競技場のようだった
巨大な五輪マークのオブジェは湾内にそのまま残っている
それから岸壁まで無数のヨットが整然と並んでいた
どんな人びとがこのヨットを使いこなすのか
休日には中国の企業の成功者たちが
オリンピック選手のように海へ繰り出すのだろうか

岸壁の遊歩道は青島の人びとの憩いの場所だ
普段着のままで恋人や夫婦や友達たちが
穏やかな顔で散歩している
李占剛さんが写真を頼むと誰も笑顔で快く引き受けてくれる
富山大学に留学経験があり社会学を教える李さんによると
就職、住宅、教育問題などで若い世代は生きていくのが大変だ という
けれども若者たちの表情には
異国の人に寄せる国を超えた優しさが感じられた

桟橋からの対岸は高層ビルのライトアップが続いている
青島が巨大なビジネス都市であることが分かる
その光の群が湾の海面に映り浮遊していた
若い女性が海外の懐かしい音楽を流し
小さなスタンドでCDを販売している
それを買う人びとが周りに群れている

この街はドイツと日本が奪い合い
かつては帝国主義列強に翻弄された地だが
今は中国奥地から物や人が集まり世界に船出する場所であり
その準備をしたり帰国後に疲れを癒す場所なのかも知れない
青島の港の夜は不夜城のように続いていた
その中の中華レストランに入り込み
私は生まれて初めて高粱で造られた白酒53°を口に含んだ
日本に何度もビジネスで来日した沈胜哲さんは
その酒を皿の上に注ぎ火をつけると白熱しながら燃え始めた
飲み込むと喉の奥は焼けていくようだった
中国の人びとの底知れぬエネルギーの源を感じた
青島の文芸誌を編集し版画家でもある高建剛さんは
青島の文学者の実情を静かに伝えてくれた



3 青島の朝の光

ホテルの窓辺から見える
早朝の磯に砕ける白い波
朝陽は太平湾の左側から昇っていく
薄緑の海に光の粉が走っていく

入江に浮かぶ小舟は何を釣っているのだろうか
海岸線に沿った四十kmの遊歩道に点在する黒松は
どれも枝を手足のように振り上げ踊っているようだ
遊歩道脇の公園の植え込みの中では
野犬たちが無防備に寝ていたし
野猫もたちもたくさん潜んでいた

青島の人びとは朝が早い
朝の海の光を受けながら
遊歩道の欄干に足を上げてストレッチをする人
苦し気にジョギングする人
深呼吸しながら歩く老夫婦たち
お婆さんと二人で自撮りする孫娘

早朝から車で乗り付けた新婚カップルが
ウエディングドレスとフォーマルウエアに着替えて
浜辺にカメラマンと一緒に降りて行く
朝の海の光をライトにして岩場で撮影が繰り広がれる
主役たちは青島の海を脇役にしてしまう
そんな祝福の朝の光を求めて
次々に新婚カップルが海辺に降りて行く
中国の若い男はフェミニストが多くなり
「暖男」と言われていると新聞で読んだ記憶がある
眼下の「暖男」たちは美しい新妻に合わせて
言われるままにポーズをとっている
青島の海は若者たちが憧れる暖かな海だった



4 青島市文学館の白壁  

青島文学館はそんなに大きな建物ではない
ビルの白い壁面に種まく人が朱色で描かれ
手を後ろに振った先に「青島文学館」と記されている
中に入り階段を上り始めると階段の白壁を有効に使い
青島の詩人や作家たちの残した文芸雑誌や書籍を飾っている
百数十年間の文芸雑誌や書籍が歴史的に配列されている
階段や部屋の白壁をうまく使用し
詩人や作家たちの歩みが顔写真入りで紹介されている
ドイツや日本の侵略の時代でも
文学活動の火は決して絶えなかったことが分かる
文芸雑誌の表紙や目次などを見ていると
粗末な用紙に刻まれた文字が
不屈の精神を刻んでいるかのようだ
人は文字を残す存在である
人びとは文芸雑誌で自由な精神をこの世に残す存在である
人びとはその文芸雑誌や書籍を集めて
後世のために文学館を作る存在なのだろう

一階は喫茶部門になっていてコーヒーを飲んでいると
館長の臧杰さんが顔を出したので質問をした
「一九二五年頃に青島日本語中学に在籍していた
中国と日本ののハーフの詩人黄瀛やその友人の草野心平を知っ ていますか」
臧杰さんは「知らない」と言いながら
すぐに黄瀛をスマホで調べ始める
「最近、中国で研究書が一冊出ていますね」と、
その本の画像や黄瀛の略歴なども見せてくれる
私も最近編集した佐藤竜一『黄瀛の生涯』をスマホで見せた
「その黄瀛の評伝を日本から贈呈します」と伝えると
臧杰さんも「黄瀛のことを調べてみます」と語っていた

いつかこの文学館で黄瀛の詩集『瑞枝』が飾られる日が来るだ ろうか
そんなことを思いながら館を後にした



5 青島の海の見える会議室

貨物船が薄い緑色の海を横切っていた
昼下がりの会議室に中国の詩人たち二十二名が集まり
私たち三人の日本の詩人たちを待っていた

今度の貨物船も昼の光の中をゆっくりと過ぎて行った
私の発表する小論文を一文ごとに読み上げ始めると
正確に中国語に翻訳してくれた孫逢明さんが
同時通訳として中国語を読み上げてくれる。
この厳密な通訳は内容や文章のリズムも伝えることが出来る
静かな波音のように中国の詩人たちに主旨が伝わることを願っ た

十七世紀の松尾芭蕉は八世紀の杜甫の詩を糧にして
「おくの細道」に分け入り、俳句の精神性を確立していった
中国の漢詩を抜きにして日本の詩歌は語ることは出来ない
日本人はそんな文字や稲作や仏教などの輸入して
自らの文化の基礎に据えてそれを豊かに発展していった
そんな文化の母である国へ
日本はなぜ戦争を仕掛けてしまったのだろうか
明治維新後の日本人が抱いたアジアの人びとに対する優越感こ
 そが
この青島を巻き込んで中国の民衆を苦しめてしまった
と青島の海を眺めながら痛切に感じながら
私が編集した『大空襲三一〇人詩集』の冒頭収録した中国の詩
 人たち
艾青、阿攏、郭沫若、戴望舒たちの空襲下の詩を紹介し
二度と日中が戦争をしてはならない思いを伝えた

中国の詩人たちは破壊されていった農村の痛みを綴った「郷土 詩」について
その論考や朗読やその解説が続いていった
最後の林莽さんの締め括りの言葉が終わった時に
館長の臧杰さんが突然立ち上がり
中国の詩人黄瀛の調査をされている鈴木さんにプレゼントがあ りますと
青島日本語中学の黄瀛の成績表と当時の校舎の写真をパネル手 渡してくれた
私はとても驚いて感謝の気持ちを伝えた
青島の海のような暖かさを中国の詩人たちに感じた



6 莫言の旧居

青島市から隣の高密市にあるノーベル賞作家の莫言の旧居に車 で向かうと
一時間ほどして旧居に近づくと一面に背の高い高粱畑が広がっ てきた
あの中に入ったら映画『紅いコーリャン』の主人公たちが
今も走り回り日本軍の「鬼子」と戦うために潜んでいるかも知 れない
小説の本当の主人公は高粱畑の広がる中国の大地だったろうか
収穫された高粱は黄色い道となって畑の脇に続いていた
これは原作『紅い高粱』の莫言の旧居に向かうための何かの演 出なのか
農民たちはその高粱を軽トラックに山積みしていく
背の高い高粱畑の中に道があり町に続いていた
中国人の食卓を飾る高粱料理や白酒を生み出す
華中の果てしない高粱ロードの中をひたすら走っていく
「鬼子」の末裔である私は兵士として華南に派遣された若い父 のことを想起した
戦争のことを父は少しも語らず晩酌をして
いつも一人寂しく軍歌を歌っていた
父が悼んでいたのは亡くなった戦友だったろうか
はたして殺された中国の人びとも含まれていたろうか

家は「莫言旧居」と刻まれた土間に小さな竈と石臼がある
数部屋だけの質素な土塀作りの平屋だった
調度品の中には小さな円卓やラジオが一台置いてあった
給与の数倍をはたいて購入したラジオを聞いていたそうだ
さわさわと高粱畑を渡る風の音や
ラジオから流れる世界の音に耳を澄ませ
質素な机の上で祖父母や父の数奇な運命や「鬼子」との闘い
それらを包み込んだ幻視的な物語を紡いでいったのか
庭で秋空を見上げると柿の木が実を付けていた
莫言さんは秋になるとこの柿の実を食べていたのだろうか

外に出ると莫言さんの小説や土産物が売られている
本当はここで販売してはいけないそうだ
だが莫言さんに関係する村人たちがするのは黙認している
チャイナドレスの似合う女優のような詩人の盧戎さんが
「福」の漢字を切り絵にした『中國剪紙』を私たち三人にプレ ゼントしてくれた
紅く縁取った「福」の中には十二支の動物の切り絵がガラスの 額に納められている
鼠、牛、虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、猪が
楽し気に色鮮やかに描かれ切り抜かれている
「福」とは十二の生き物たちとその干支に生まれた人間たちが
この世に共存していくことであると語っているようだ
盧戎さんは私たちの幸せを願って手渡してくれた


7 青島の牽牛花

帰国の朝は小雨が降っていた
傘をさして青島の浜辺を歩いていると
堤防の下に赤い花が群れ咲いていた
その花を孫逢明さんの教え子で通訳の学生に尋ねると
知りませんと恥ずかしそうに言い
すぐに若者らしくスマホで調べて牽牛花らしいと教えてくれた
牽牛花とは日本語では朝顔だと分かった
遣唐使が日本に薬草として伝えたらしい
七夕の頃から咲くので中国では牽牛花と言われてきた
朝に咲き縁起がいいので日本で朝顔と名付けられたのだろう
日本の朝顔は暮らしに根付いて多様な品種に発展した
帰国の朝に朝顔の原種に出会えて不思議な巡り合わせだった

林莽さんと盧戎さんは磯でカニを見つけて手渡してくれた
蟹は私の手の中で暴れてまた磯に戻っていった
私たちは到着日に来たカフェを探したが休みで
遊歩道に沿ってカフェを探した
小雨の中でも「暖男」と花嫁の撮影は続いていた
レストラン風の二階建てのカフェに入った
林莽さんは絵を、高建剛さんは版画をスマホで見せてくれた
「林莽さんや高さんの絵や版画にはポエジーの血が流れていま すね」と
二階の窓越しに青島の海を見ながら作品の感想を伝えた
帰国の時間がやってきた
私たちは林莽さん、高建剛さん、盧戎さん、
北野さん、藍野さんたちと別れを惜しみ
再会を願って空港に向かった
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  1. 2016/11/30(水) 17:28:54|
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