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詩「ソウルのノカンゾウ」「鶴見橋のしだれ柳」コールサック67号より

ソウルのノカンゾウ      


 1
四年ぶりに高炯烈さんと会うために
仁川空港に降り立った
 シルレハムニダ ヒガシソウルボスターミネルカジ カリョゴハヌンデヨ
 失礼ですが、東ソウルバスターミナルまで行きたいのですが……
案内所の若い女性に韓国語で話しかけた
笑いながら流暢な日本語でご案内しましょうと
バス停まで連れて行ってくれた
七月初めの昼下がりのソウルの街角は国産自動車が溢れて
バスから眺める林立する高層マンションには熱気を感じて
刻々と街が新しく増殖していくようだった
ハングルの広告塔、ディスプレイ、看板も色鮮やかデザインも個性的だ
けれども幾つもの橋から見下ろす
韓江の流れだけは
悠久の流れを変えてはいなかった
車道から見える空き地にはオレンジ色の花が咲いている
日本にも咲く野草のノカンゾウに思えた
オレンジ色の花を咲かせた樹木も何度も見かけた




日本の夏にも咲くノウゼンカズラに似ていた
強い日射しの中で渋い橙赤色の花々は
日本の夏の光景とも重なり
国の違いを越えて共通する花の美意識を感じた
ノカンゾウは忘れ草の仲間だ
なぜか忘れ草には言い伝えがある
「嬉しい時はシオンを植えて眺めるといい、
 悲しい時はカンゾウを植えて眺めるといい」
中国名で忘れ草は「金針」とか「亡憂草」とも書き
悲しい出来事を忘れさせてくれる不思議な力を持っているのだろう。
私の弟が亡くなった時にもこの花が咲いていて
言い伝えを知らない前からこの花にはずいぶん慰められていた
その花をソウルのいたる所に見ることができたのは
きっとこの地で起きた侵略と分断の悲劇を
しばし忘れるための民衆の知恵だったのかも知れない

 2
バスターミナルに着き
東ソウルホテルに歩いて行った
ホテルには高炯烈さんが待っていた
共通の友人で通訳をしてくれる李承淳さんも一緒だった
 オレガンマニムニダ トマンナソ パンガプスムニダ
 ご無沙汰しています またお会いできて 嬉しく思います
 スズキシヌン コンガンハセヨ ソウルカジ チャル オショスミダ
 鈴木さんもお元気ですか ソウルまでよくこられました
高炯烈さんとは広島で『長詩 リトルボーイ』出版記念会を開いてから
四年ぶりだったの再会だった
夕食の韓国料理を食べながら
高さんの新詩集『アジア詩行』の最終打ち合わせをした
高さんの希望で詩集名を
『アジア詩行―今朝、ウラジオストックで』と副題をつけた
詩人でカメラマンの柴田三吉さんの写真を使用した装丁三案から
カンボジアの大樹の前に佇む母子の写真を高さんは選んだ
マッコリを高さんはしきりに勧めて二人で二本も空けてしまった
互いの詩誌に推薦する詩人たちの詩を掲載し合い
いつの日か日韓詩人の友情のアンソロジーを作りましょう
それから秋に『アジア詩行』の出版記念会を開くので来日して下さい
というそんな私の複数の提案に賛同してくれた
七月三日のソウルの夜は二件目・三件目の店を巡り四日になっていた
 
翌日私はソウルの徳寿宮に行き
その宮殿正門の花壇にノカンゾウが群れ咲き
その傍に紫のギボウシが少し咲いているのを見た
私はソウルの太陽に手をかざし
汗が吹き出るソウルの猛暑の日射しを見上げた
ノカンゾウは爽やかに太陽の橙赤色をまとって
一輪一輪すっと咲き誇っていた


鶴見橋のしだれ柳


一冊の原爆詩集が人生を変えることもあるだろうか
二〇一〇年八月六日午後五時 
一人ひとり被爆者が働き暮らしていた街を想像して
ようやく平和資料館の書籍売り場に辿り着く
しばらくボーとして本を眺めていると
『原爆詩一八一人集』英語版を買い求めた
毅然とした若い日本の女性がいた
ああ、彼女もまたきっと原爆の悲劇を
世界の人に伝えてくれるだろうか
母になり子供にも伝える日が来るだろうか
その詩集を編んだ私はそんな予感がして
逆光の彼女の横顔を見た
どこか被爆マリアのように思えて
慰霊碑に向かって外へ出た

平和公園内の詩の朗読会が終った後
元安川のほとりでは灯籠流しが次々と流されていた
多くのミュージシャンが平和の祈りを歌い続けていた
原爆ドームはライトアップして静かに佇んでいた
近付いていくと地上は薄暗く
勤労奉仕の学生たちの学校名を記した碑で




ようやく各県別の学校名を読むことができた
東京都には私の出身大学名も記されてあった
この碑にもライトアップして欲しかった
全国の学生たちがこの地で
なぜ死ななければならなかったを問いかけている
その重たい問いを抱えながらホテルに戻っていった

数多の蟬の鳴声が一つの願いに聴こえてくる
翌朝の八月七日早朝 『絶後の記録』を持って
ホテルを抜け出し平和大通りに入り
左折し比治山に向かう
平和大通りは被爆者の森と名付けられ
県別の名が付けられた樹木が植えられていた
きっとこの地で被爆死した学生たちを慰霊するためだろうか
大地と樹木たちから発せられる蟬の合唱は
なぜか僧侶たちの念仏のようにも聞こえてくる

 北海道(ライラック)、青森(ニオイヒバ)、岩手(ナンブアカマツ)、宮城(ケヤキ)、秋田(ケヤキ)、山形(サクランボ)、福島(ケヤキ)、茨木(シラウメ)、栃木(トチノキ)、群馬(クロマツ)、埼玉(ケヤキ)、千葉(イヌマキ)、東京(イチョウ)、神奈川(イチョウ)、新潟(モッコク)、富山(ケヤキ)、石川(アスナロ)、福井(クロマツ)、山梨(イロハモミジ)、長野(ケヤキ)、岐阜(イチイ)、静岡(キンモクセイ)、愛知(ハナノキ)、三重(イチョウ)、滋賀(ヤマモミジ)、京都(シダレヤナギ)、大阪(イチョウ)、兵庫(クスノキ)、奈良(ヤエザクラ)、和歌山(ウバメガシ)、鳥取(ナシノキ)、島根(クロマツ)、岡山(アカマツ)、広島(ヤマモミジ)、山口(アカマツ)、徳島(ヤマモモ)、香川(オリーブ)、愛媛(クロマツ)、高知(シラカシ)、福岡(モチノキ)、佐賀(クスノキ)、長崎(ヤブツバキ)、熊本(クスノキ)、大分(ブンゴウメ)、宮崎(フェニックス)、鹿児島(カイコウズ)、沖縄(カンヒザクラ)

この被爆の森を歩き続けると
蟬の合唱は数多の勤労奉仕の学生たちの悲鳴に重なってくる
目の前に比治山が見えてくる
手前には京橋川が豊かな水量を誇って流れている
鶴見橋を渡ると
被爆したしだれ柳がケロイドを残しながら幹を残している
根元から双子のように新しい幹が命を受け継いでいる
爆心から一 ・七キロ
さえぎるものは何もない
この距離までほとんど消失してしまった
多くの勤労奉仕の学生が被爆し燃えていき
京橋川になだれ下りていったのだろう
彼らの肉体を剝ぎ取って
爆風は比治山を駆け上がり
山で働いていた学生や多くの人びとたちも薙ぎ倒して
山向こうの民家を吹き飛ばしていった
今は比治山には美術館もあるが 
多くの慰霊碑がある
山全体が緑濃い青山で墓碑のようだ
『絶後の記録』を書いた小倉豊文は
爆心から三キロ比治山を越えた猿猴川の新大洲橋にいた
爆心地近くにいる妻を捜すため比治山に上ってみると
「人口四十万、六大都市につぐ大都市広島の姿がなくなっていたのだ」(『絶後の記録』第三信より)
今は山の上から広島のビル街が広がって見えるが
私は鶴見橋のしだれ柳や被爆死した学生の姿を探していた
一本の樹木が数多の命を汲み上げて
死者と共に生き続けているのを見ていた 
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  1. 2010/09/06(月) 13:48:35|
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