コールサック82号

請戸小学校の白藤       鈴木 比佐雄


海から三四〇mで外階段のついた三階建の塔
太陽光発電システムのついた二階建ての校舎
中は亀の甲羅のような珍しい楕円の体育館
そんな請戸小学校に近づくと
なぜか子どもたちの悲鳴が木霊してくる
あの時はどんなにか怖かったろう
海が真っ黒になって押し寄せてきたのだから

マグニチュード9の地震は
卒業式会場の体育館の床を陥没させた
子どもたちは海が引いてゆく奇妙な音を聞いたのか
それとも聞いたことのない海からの轟音を聞いたか
東電福島第一原発から五kmの小学校は激しく揺れた

「津波が来る。大平山に向かって逃げるぞ。
 頑張って歩くんだぞ」

八十一名の子どもたちと教職員十三名は
一五〇〇m先の大平山へ四〇分後に駆け上った
その十分後に津波は校舎を呑み込んだ

それから四年が過ぎ
漁船や家々の残骸は片付けられたが
壊れた藤棚から白藤が地を這い
荒れ野の中で逞しい白光を放っていた
二階建ての請戸小学校の時間は凍りついたままだ
校舎よりも高い塔に過去二回は昇ることができて
第一原発の排気塔を眺めることができた
しかし今は階段は封鎖されて昇ることは出来ない
階段が老朽化してしまったからか
ところでこの塔はどんな目的で作られたのか
津波を見張るためか、原発の爆発を見守るためか
いや美しい朝焼けを見るためだったか
何か他の目的があったはずだろう
子どもたちにこの塔をどのように
利用していたかを聞いてみたい

各教室の後ろの本棚には
絵本、図鑑、教材などが残ったままだ
原発の交付金で作られたプレートも残ったままだ
二〇〇名近くの浚った津波や原発事故を目撃できた小学校
これほど危険な場所になぜ小学校が作られたのか
そんな危機を事前に予知していた大人たちがいなかったか
知っていてもなぜ語らなかったか

いま請戸小学校周辺はシャベルカーが地をならし
汚染土の仮置場の仮置場になっていた
藤の白い花が咲いている学校脇も
次に私が来る時は仮置場になっているか
いや請戸小学校も仮置場にされてしまうか
大人たちの愚かな記憶を葬るために
けれども決して恐怖の記憶までは葬れないだろう
請戸小学校の花壇には白藤以外にどんな花が咲いていたのか
大平山から数キロ歩いて六号線に着き
トラックに助けてもらった時にどんな思いだったか
今は中学生か高校生になった子どもたちに聞いてみたい





編集後記           鈴木 比佐雄

 二月二十二日に常磐道を車で走りいわき市を越えて、南相馬市民文化会館で開かれる加藤登紀子さんのコンサートに向かった。若松丈太郎さんの『福島核災棄民―町がメルトダウンしてしまった』には、若松さんの詩「神隠しされた街」に曲を付けて歌ったCDを付けさせてもらったこともあり、若松さんと一緒に聴きに行くことを計画していた。常磐道は三月一日に全面開通することが数週間後に控えていたが、まだ常磐富岡インターまでしか常磐道は通れなかったので、その先にある浪江町と南相馬市のインターには行くことができずに、常磐富岡で降り一般道を経て夜ノ森駅近くに来た。ここは桜並木で有名だった。裸木であったが桜が咲いたら美しい場所になることは想像できた。駅前や商店街に立ち寄って行こうとハンドルを切ろうとしたら、停止棒を持った警備員が駅に続く道に立ち、立入禁止を告げていた。六号線(陸前浜街道)に出て北上ししばらく走ると、大熊町と双葉町にまたがる東電福島第一原発が右手にあることが気になってしかたがなかった。六号線の両側に汚染土を詰めた黒いビニール袋が所々に置かれている。田畑や雑木林なども除染したところもあるが、しかしその汚染土は黒いビニール袋に詰め込まれて置かれているだけなのだ。右手の第一原発に入る道々には、停止棒を持った警備員が必ず立っている。事故から五年目に入った原発周辺は黒いビニール袋が増え続け、顔のない警備員によって守られ続けているのが現状だ。若松さんと待ち合せてコンサート会場に行くと、浪江町から南相馬市に避難している根本昌幸さんが待っていてくれた。根本さんの家は浪江町インターの近くにあったが未だ帰還することは出来ない。久しぶりに会い近況を伝えあった後に、若松さんと加藤さんに会いに行くと、リハーサルをされていた。登紀子さんはコンサートでの曲をすべて歌ってバンドメンバーと確認しあっていた。コンサートと同じ時間のリハーサルが必要ですとプロダクションの徳田修作社長が語ってくれた。袖口から聞かせてもらいプロとはこうなのだと強く感じた。コンサートが始まる前に加藤さんと私たちは話す事も出来た。コンサートを聴きながら私は、登紀子さんがいつもとは違うと感じた。かなり前にこの地でコンサートを企画した多くの市民ボランティアが再び加藤さんを呼ぶために尽力したことを感じて、3・11以降に初めてこの地でコンサートをすることに特別な感慨を抱いているようだった。初めから何か胸にこみ上げるような感情が今にも爆発しそうで、それを抑えながら歌っていることが分かった。登紀子さんは震災と原発事故を抱えて生きる南相馬市の苦悩を背負い込んで歌っているようだった。何度もコンサート聴いているので、このような登紀子さんは初めてだったが、一人の表現者として会場の様々な悲しみや無念さを汲んでいたとても心に沁みたコンサートだった。コンサート後の交流会で登紀子さんの隣に座っていた浪江町と南相馬市にまたがる非営利一般社団法人「希望の牧場・ふくしま」代表の吉沢正巳さんと話すことができた。吉沢さんは自分を牛飼いであり、行政からの被曝した牛三〇〇頭の殺処分を拒否して、「原発事故の生き証人」として後世に残そうする活動をしている。中には放射能汚染による白斑牛も含まれている。その牧場に行くことを吉沢さんに約束して私は車に乗り込み帰途についた。帰りの六号線と夜ノ森駅周辺では、赤い光を発した停止棒を持った警備人たちが深夜にも関わらず立って監視している。その光景は背後に壊れた四機の原発が今にも出現するような言い知れぬ恐怖感があった。
 「希望の牧場・ふくしま」に行く機会は、四月三十日に訪れた。須賀川の俳人永瀬十悟さんから高名な俳人の高野ムツオ氏とその俳句結社「小熊座」の十名ほどの仲間たちが「希望の牧場」と請戸地区の浪江町、小高区などの南相馬市に行くので一緒に行かないかと誘われたのだ。前日には若松さんに会い、三十日は行動を共にした。「希望の牧場」は、山を切り拓いた牧場に牛が点在している一見するとのどかな感じだが、原発から一四kmだが毎時3~5マイクロシーベルトでまだかなり高い。吉沢さんは三〇〇頭の命を人間の命と同等のものだと感じている。殺処分をすべきだという理不尽な絶望的情況の中でも、その命と共に生きようとしている吉沢さん、それを助けている実の姉上、ボランティアのスタッフ、野菜など牛の餌を支援してくれているスーパーの経営者、牧草を提供してくれる酪農家の仲間たちの志や行動力に、私は希望を見出した。まさしく掛け値なしに「希望の牧場・ふくしま」であり続けている。
 今号も今の時代が置かれている人間の内面を深く見つめて書かれた詩篇を数多く掲載させて頂いた。詩、俳句、短歌などの季刊評・時評なども多くの作品に向き合って読み解いてくれている。また俳句、短歌、エッセイ、評論、翻訳、小説なども集まり、「コールサック」(石炭袋)は詩をベースにしているが、総合文芸誌に向かっていると思われる。「コールサック」はこの雑誌に寄稿・参加する人たちのための雑誌であり、寄稿者によって豊かに発展していくことを願っている。
 『平和をとわに心に刻む三〇〇人詩集―十五年戦争終結から戦後七十年』の試みについて二月一六日の朝日新聞「天声人語」で取り上げられた。HPや今号の広告欄でも紹介しておりますのでご覧ください。現在、編集の真最中で様々な観点からその詩人独自の「平和」への思いが切実なイメージと共に喚起されてくる。この号が出るころにはすべての詩篇は確定していると思われるが、もし手持ちの優れた詩篇がありぜひ参加されたい方があれば至急ご連絡下さい。
 今号の評論〈「ヒロシマの哲学」と「コベントリーの精神―平和と和解」〉は、浜田知章たちの原爆詩運動の展開や広島の「コベントリー会」が主宰した英詩の朗読会について触れさせてもらった。朗読に参加した上田由美子さんとイギリスから来日したアントニー・オーエン氏のその後の研究会の講演録も収録してあるのでお読み下さい。
 石川逸子さんのご主人で陶板彫刻家の関谷興仁さんの美術館「朝露館」が大震災で閉鎖されていたが、五月上旬にリニューアルされて開館した。そのオープンを祝う会が五月十七日にあった。二十世紀・二十一世紀に流された世界の民衆の血の記憶を陶板に記している。益子町益子四一一七-三(電話:0285-72-3899)なので一度立ち寄って欲しい。今の時代だからこそこの「朝露館」の戦争責任を決して忘れない、心に刻まれた言葉が必要だと感じた。
 次号へのご寄稿も宜しくお願い致します。
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  1. 2015/06/12(金) 15:25:20|
  2. 詩篇・編集後記
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