コールサック80号掲載 編集後記

編集後記           鈴木 比佐雄


 一九八七年の十二月に「コールサック」(石炭袋)創刊してから二十七年が経ち、八十号を迎えた。いつも宮沢賢治の詩的精神を「石炭袋」に入れて、さらに新しい編集企画や同時代の新しい賢治のような他者の幸せを願う独創的な冒険者たちを忍び込ませ、そのことを楽しみながら、淡々と刊行することを心がけてきた。八十号(二〇一四年十二月冬号)より年に四回の季刊になるが、今後もそのような思いを継続して佐相憲一さんや他のスタッフとともに淡々と刊行していきたい。
 今号より表紙デザインも一新した。賢治の銀河鉄道とコールサック社の石炭袋のイメージを表現してみた。カラーの一頁目には「詩人のギャラリー」の詩とエッセイから始まり、毎号写真・絵画・彫刻などの表現活動をしている方に誌面を提供したいと考えている。また時評、詩集評、詩誌評なども依頼原稿して連載をしていきたいと考えている。これから年四回の詩集評は若宮明彦さん、詩誌評は山口修さんにお願いをした。全国の詩人たちの多様な試みを紹介して頂ければと願っている。
 コールサック社の本社は現住所の五〇九号室だったが十二月からは編集室の二〇九号室を本社することにする。五〇九号室は当初は本社であったが二〇九号室を借りた六年前から倉庫として使用していた。今年の秋ぐらいから五〇九号も手狭になったために倉庫と発送機能を兼ねる外部の倉庫業者に委託することにした。その移転作業も十一月で完了した。在庫書籍の管理がコンピュータ上で管理出来て、発送も午後三時までにご連絡頂ければ当日の発送が可能です。出版社において倉庫と在庫管理や発送業務は悩みの種だったが、これでほぼ解決できたと思われる。今後は優れた本を作る事だけにエネルギーを注げるだろう。コールサック社への郵便・メール便は二〇九号室へお送り頂ければ幸いです。
 本社になる二〇九号室の本棚のスペースには賢治コーナーがあり、賢治のミニチュア銅像を中心にどんぐりの置物、素焼きの山猫、栃の実を配置して賢治の世界を作っている。時々全国の詩人から送られてくる果物や木の実などもその場所に置いて観賞し楽しんでいる。賢治の石炭袋は白鳥座の近くにだけあるのではなく、身近な本棚にもあると思うからだ。
 九月二十日の日本現代詩人会国際交流ゼミナールは「21世紀のアジアにおける日韓詩人の役割」をテーマに早稲田奉仕園で開催した。私は国際交流担当でこのゼミナールを一年前から企画し、韓国から高炯烈氏と権宅明さんの二人を招待し講演とシンポジウムに参加してもらった。一九日の午後に羽田空港に二人出迎え、高田馬場のホテルに案内し翌日の打ち合わせをし、二十日は講演・シンポジウム・交流会・二次会を行い、二十一日は浅草見物をした後に、夜に羽田空港で二人を見送った。とても密度の濃い二泊三日だったがいつも傍にいたこともあり、見送りの際は二人とは別れ難く、高さんとは十五年もの付き合いがあるので、何か特別に胸に迫るものがあった。国際交流とは他国の一人ひとりのいかに深い関係を持続的に交流できるかだということを再認識させてもらった。高さんの講演原稿の韓国語と日本語訳を収録し、またシンポジウムや朗読に参加した詩人たちの詩篇などを入れた96頁の冊子も刊行した。もし希望者があれば日本現代詩人会の北畑光男理事長に連絡すれば頒価三百円と送料でお分けすることは可能です。今回のゼミでは日本詩人クラブも後援をしてくれ、詩人クラブの細野豊会長をはじめ多くの会員が参加してくれた。二つの代表的な詩人団体が力を合わせて全国の詩人たちのために研究会などを行うことに私も支援していきたいと考えている。
 連載してきた高炯烈さんの詩集『ガラス体を貫通する』も九月二十日に合わせて刊行された。『長詩 リトルボーイ』・『アジア詩行』につぐ、三冊目の日本語詩集だ。権宅明さんと佐川亜紀さんが高さんの芸術性の高い韓国語を磨き上げた日本語に仕上げてくれた。現役の韓国詩人の最高峰の詩集をぜひ読んでもらいたいと願っている。
 夏から秋に刊行した詩選集『水・空気・食物300人詩集』・『現代の風刺25人詩集』・『SNSの詩の風41』・『生きぬくための詩68人集―死を越えて生を促すために』などは、様々なところで反響を呼んでいる。『生きぬくための詩68人集』は全国紙から四名の参加詩人が取材を受けたので、間もなく紹介されるだろう。私の友人だった亡くなった永塚幸司の詩も七篇ほど収録した。ご遺族の奥様や二人の兄上も収録を喜んで下さった。永塚さんの息子さんも二十歳になりこの詩集を読んでくれているという。
 清水茂さんの詩論集『詩と呼ばれる希望 ―ルヴェルディ、ボヌフォワ等をめぐって』が刊行された。元日本詩人クラブ会長の清水茂さんの講演を二度ほど拝聴し、その存在論的で思索的な内容に驚き、清水茂さんに詩論や講演録をまとめさせてほしいとお願いをしていたことが実現した。その際に学生時代に私の卒論指導の矢内原伊作先生と清水さんが親しい間柄だったことが分かりさらに驚かされた。そのことも含めて清水さんの世界的な視野を持つ詩と思索の一致した詩論をじっくり拝読し解説文も書かせて頂いた。
 今号で『平和をとわに心に刻む三〇〇人詩集―十五年戦争終結から戦後七十年』の公募を開始した。詳しいことは今号の私の評論「浜田知章・鳴海英吉・木島始・宗左近の呼び声」と公募趣意書をお読み頂ければと思います。カントの恒久平和思想と元ドイツ大統領ヴァイツゼッカーの戦争責任を「心に刻む」を念頭に置き、戦後七十年の今こそ戦争の悲劇や戦争責任を自らの内面に問いかけて、多くの詩人と共に考えて、未来を創っていきたいと願っているからだ。ぜひご参加下さい。
 九州電力川内原発の再稼働を政府や鹿児島県知事や県議会などが同意し、強引に再稼働を推し進めている。地元で桜の遺伝子が放射能の影響をどのように受けているかなどの調査をしている詩人の小村忍さんに電話したところ、今の政権の強引さに民主主義の根本的な危機を感じておられた。東京電力福島原発事故の経験が全く生かされずに九州を取り返しのつかない破壊に向かわせるようだ。九州電力や政府や鹿児島県議会が、原発事故の責任を決して負うことはできないことは自明なことだ。南相馬市の若松丈太郎さんや鹿児島県出水市の小村忍さんのような故郷を喪失する危機感や警告を無視し続けると、また福島の悲劇に匹敵する想像を超えた原発事故が起こるかも知れない。
 今号も多くの詩篇とエッセイ・評論・書評・小説・翻訳などをご寄稿下さり感謝致します。来年の八十一号も宜しくお願い致します。
スポンサーサイト


  1. 2014/12/01(月) 14:08:57|
  2. 編集後記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

コールサック80号掲載詩

柿狩りと栃の実       鈴木 比佐雄
 

 1
小さな庭には自然に生えた柿の木があり
春には柿若葉の緑があたりを新鮮にさせ
秋には渋い柿の実をつける
それでも小鳥たちが訪れて餌にしている
柿色は心に沁みてくる懐かしい色だ

食卓には親戚の田舎から送られた柿の実がある
果物ナイフを手に取り十字に切り裂き
4分の1の実の皮をむいていると
福田万里子さんの詩「柿若葉のころ」を思い出す
その詩の中で戦争末期に死んだ父が柿を手渡し
 柿もぐと樹にのぼりたる日和なり
 はろばろとして背振山みゆ
という中島哀浪の短歌を教えてくれたことが記されている
柿の木を見ながら背振山から見上げたことが
小さかった福田さんの父との最良の思い出だった

分からない野草があると福田さんに訊ねた
いつも丁寧に調べてくれ野草の命を手渡されるのだ
福田さんのマンションの花壇には
沢山の野草などの鉢植えがあり




スケッチした椿の絵が送られてきた
福田さんの命の時間が蕊の黄と花の赤と緑葉に残された
その椿の絵が『福田万里子全詩集』を飾っている
柿若葉色と渋柿色の両方を兼ね備えていた人を偲んでいる

 2
子どもたちが小さかった頃
春はキイチゴ狩り 秋は柿狩り
と名付けて手賀沼周辺の野原や里山の雑木林に
キイチゴや柿を採りにいったものだ
モミジイチゴやカジイチゴやニガイチゴを集めて
そのまま食べたりキイチゴジャムを作ったりもした
キイチゴ狩りは里山の宅地化が進み
残り少なくなってしまったが
今も春になると残された自生する場所を訪れ
くすんだオレンジ色のモミジイチゴの実を口に含んで
その少し苦い味を楽しんでいる

柿狩りには苦い思い出がある
近くの野原にたわわに実った柿の木がある
誰も取らずに落ち始めもったいないと思い柿狩りをしていると
「柿どろぼうなんかして、この土地は誰々さんのもの」
と近くの老婆にひどい剣幕で叱られ子どもと逃げて帰った
その後は柿狩りをやめてしまった
それから老婆は数年後に亡くなった
あの正義感がその場所を通るとまだ残っている

 3
和歌山の詩人から秋の果物や木の実が会社に一箱届いた
スタッフが帰った後に蜜柑箱を開いてみた
小粒の蜜柑は小結のように手になじんだ
銀杏の実は酒のつまみになる
殻付きの栃の実は縄文人が水で渋抜きをして
砕いて焼いてクッキーにして食べたのだろうか
和歌山の詩人は栃の実をなぜ送ってきたのか

「コールサック」(石炭袋)のバックナンバーや刊行書籍を並 べている
会社の本棚の一番目立つ場所を空けてみたくなった
まず賢治の銅像のペン立てを中央に置き
京都の詩人からもらった大きなどんぐりのオブジェ
岡山で求めた素焼きの太った山猫
そして栃の実などを周りに配した
すると賢治の「どんぐりと山猫」の世界が現われてきた
賢治の「石炭袋」の世界は白鳥座の近くにあるのではなく
本棚の片隅にも出現しているのだ
和歌山の蜜柑は甘酸っぱく
いつのまにか晩秋の深夜に縄文の風が吹いてきた


  1. 2014/12/01(月) 13:10:12|
  2. 詩篇
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

FC2Ad