『脱原発・自然エネルギー二〇〇人詩集』呼び掛け文 【詩2篇】

季刊誌「コールサック71号」より「新アンソロジー詩集 呼び掛け文」と「詩二篇」を掲載いたします。

原発という「悪魔の技術」から
  人間と地球を解放するために
  ―福島原発事故の経験を世界に伝える
   『脱原発・自然エネルギー二〇〇人詩集』
           (日本語版・英語版合体版)
              鈴木 比佐雄
 

  1
 二〇一一年三月十一日午後二時四十六分の衝撃は、あらゆるところで語り継がれているだろうが、まだその衝撃が日本人や世界の人びとに与えた本質的な考察は始まったばかりだ。その日時に私は東京都板橋区の会社事務所で仕事をしていた。私を含めた六人の社員がいつものように、入力、組版、装丁デザイン、校正・校閲、編集、解説執筆などの日常業務をしていた。いつもの地震とは次元の異なる衝撃が走った。社員と一緒にビルの二階から地上に下りて、十五階建てのビルや脇を走る高速道路を見上げると両方とも揺れて、次の衝撃で崩壊してもおかしくないと感じた。足元のアスファルトの奥深くが融けてヌルヌルしているような、気味の悪い揺れが続き、その奇妙で底知れぬエネルギーが足元から伝わってきた。女性社員三人は恐怖で近くの公園へと足早に逃げて行った。私はしばらく高速道路や建物が倒れたりしないかと空を茫然と見上げていた。そして第一波の衝撃の強さから震源地では大変なことになっていると直観した。事務所に戻りインターネットを開きラジオも聴くと宮城県三陸沖が震源地だった。
 私と同じように一人ひとりの3・11の記憶がきっと存在するに違いない。きっと未だその揺れが身体や心の深層に反復される人びとも多いだろう。現代の科学技術文明の危うさを自覚させられる出来事だった。そして人類が自然を畏怖し自然と共生する本来的な文明に向かう歴史的な出来事として、東日本大震災・福島原発事故は、記憶されて人間社会の在り方を根底から変えていく衝撃を与えていくに違いない。
 福島原発事故の実態は、地震後数十時間で1~3号機の原子炉がメルトダウン(炉心溶融)し、77万テラベクレルの放射性物質を放出したといわれ、事故の深刻度でレベル7で、520万テラベクレルを放出し多くの犠牲者を出したチェルノブイリに匹敵する事故となりつつある。七月下旬の衆議院の委員会で発言した東京大学アイソトープ総合センター児玉龍彦教授によると、地震の研究室の計算で熱量が広島原爆の29・6個分でウラン換算でいうと20個分の相当の規模だったという。しかも児玉教授は、原爆が一年後に千分の一に減少するのに対して、原発からの放射性汚染物は、十分の一にしかならないという。それゆえに最新鋭の放射能計測器で食糧、水、土壌の放射能の詳細な調査を実施すべきだと力説した。また「差し当たり健康にあまり影響がない」という将来の放射能被害の深刻さを認識しない枝野官房長官や「プルトニウムを飲んでも大丈夫という東大教授がいる」と最も危険なアルファー線さえ認識していない御用学者たちの言説を酷評した。亡くなった原子力情報資料室の高木仁三郎や小出裕章京大原子炉実験所助教授のような反原発の学者たちや地域の環境や安全を真剣に考えていた人びとは、以前から原発の問題点に警鐘を鳴らしてきたにもかかわらず、国や電力会社たちは聴く耳を持たず目をあわすこともなかった。偽装と噓で塗り固めた「安全神話」の村の中に逃げ込んでいただけだ。
 二〇〇㎞離れている私の暮らす千葉県柏市でも、七月下旬ころの「週刊現代」でホットスポットと言われる柏の葉公園では毎時で最高0・86マイクロシーベルト、平均で1・12マイクロシーベルトが計測器の写真入りで紹介されていた。私が仮にその付近にいたとして年に換算すると8ミリシーベルト近くになり、国に決めていた年間1ミリシーベルトを楽に超えている。六月の時点で幼稚園の通園ルートを父母たちが放射線量測定器(ガイガーカウンター)で測ると毎時0・3~0・4マイクロシーベルトだったと週刊誌に記されてあった。しかしこの被曝量は「空間を飛ぶガンマ線」である甲状腺癌を引き起こすヨウ素131や膀胱癌などを引き起こすセシウム137だけしか通常の計測器では測れない。白血病などを引き起こすベータ線のストロンチウム90や、遺伝子障害や肺癌を発生させるアルファー線であるプルトニウム239は、特別な計量器でしか検出できないという。しかしそれ以外にも食品摂取による内部被曝も考慮すると東日本だけでなく多くの日本人の被曝は現在進行中のものであり、五年後十年後について誰も確実な予測は出来ないし、結果が出てくるまで二十年から三十年もかかるに違いない。
 五ヶ月近く経った八月一日に東京電力が発表した福島第一原発一号機二号機の主排気筒附近の放射線が10シーベルトを超えていたことは、恐るべきことだと痛感させられた。人間は7シーベルトを浴びると確実に死亡すると言われている。実際に一九九九年の東海村原発事故の作業員だった大内久さんや藤原理人さんたちは、10~20シーベルトを浴びて80日間以上も苦しんで死亡した。その経験を活かせずにそれから十数年後に福島の原発事故収束のために作業員たちに、国の定める1ミリシーベルトの1万倍もの10シーベルトの場所近くで作業をさせ続けていることは、国家意思とは言え、命を削らせる行為を強いていて、本当に心が痛んだ。原発の抱える危険性を国民に伝えず、安全神話だけを言い続けてきた国や東電や原発メーカーなどの関係者あまりの人間軽視の責任は、限りなく重く犯罪行為にも等しい。
 原発と原爆は核分裂をさせて中性子を飛び立たせ膨大なエネルギーを一挙に放出させるかゆっくり取り出すかの違いで、原理的には同じである。広島の原爆投下後に友人や恩師を探しに向かった御庄博実さんは、入市被曝をしてしまう。戦後に医師になり国内の原爆治療に携わるだけでなく、朝鮮人被爆者の治療や湾岸戦争で使用された劣化ウラン弾によるイラクの子供たちの内部被曝の問題にも積極的に関わってきた。そんな海外の人びとの苦悩を御庄さんは詩にも刻んできた。私は一九九七年に浜田知章さんが詩誌「火皿」に呼ばれて講演をする際に同行して、御庄さんを紹介された。居酒屋で二人と酒を酌み交わした時に御庄さんから国内の被爆二世・三世の健康調査データに基づいた研究論文を頂いた。ただ御庄さんはこの研究論文について原爆症の会から、関係者の就職・結婚に影響があるから、出来るなら公表しないで欲しいとも言われていると複雑な胸中を伝えてくれた。私は放射能が二世・三世の遺伝子に影響を与えていることを直観したのだった。御庄さんは自らも入市被曝をしているので、内部被曝の問題や子や孫への影響を自らの問題であると同時に、核兵器がもたらした現在進行形の被曝者たちの実相を生涯賭けて探求しているのだろう。その意味で原爆と原発とは同じ放射能被爆と被曝であり、同じものであるという認識を抱いていたに違いない。
 現役の詩人の中で最も自覚的に原発の危険性を考察し、その問題点を警告してきたのは、今も福島県相馬市に暮らす若松丈太郎さんだ。若松さんは地震後の五月上旬に四十年間にわたり福島原発の危険性を警告してきた『福島原発難民』をコールサック社から刊行した。福島第一原発が稼動した一九七一年に地元新聞に書いた評論は、原発の危険性が地元の古代から続く文化を破壊してしまう恐れと、補助金漬けになっていき、誇りを失っていく福島の人びとの変容を直視している。またチェルノブイリにも行き、破壊された原子炉からの20~30㎞の地域がどのような悲惨な現実を抱えているかを、他人事でなく福島にも当てはめて現在の福島を予言した詩篇である「連作 悲しみの土地」を一九九四年に書き上げてもいた。その中の「6 神隠しされた街」は30㎞以内に住む15万人の運命を言い当てていた。また鈴木文子さんも一九九一年に刊行した詩集『女にさようなら』に収めた「夏を送る夜に―原発ジプシー逝く」で全国の原発でジプシーのように渡り歩き被曝しながら働く作業員の実態を詩に記していた。今から十四年前の一九九七年の三月十一日に東海村の原発で事故があり三十七人の作業員が被曝し、六〇㎞離れたつくば市でセシウム一三七が検出されて、私の暮らす柏市でもセシウムの恐れを心配した。その時のことを私はすぐに「東海村の悲劇」という詩に書いた。その後も東海村原発や福島原発のことを「一九九九年九月三十日午前十時三十五分」、「二十世紀のみどりご」、「カクノシリヌグイ」、「シュラウドからの手紙」、「日のゆらぎ」などに書き記してきた。また北海道に在住する矢口以文さんも、故郷宮城の女川原発に反対することを地元の婆様の女川弁で語らせた詩などを発表してきた。その他にも私の知らない全国の原発に問題点を指摘した脱原発の詩は存在していたに違いない。それらの3・11以前の予言的な詩篇も可能な限り集めたいと考えている。

  2
 全国の詩誌に書かれた3・11以降の詩篇を読んでいると、震災、津波、原発事故の詩篇は相当数になっている。それほど今回の東日本大震災の衝撃が大きかったことが分かる。その書き方において一つの特長的なことは、書き手が他人事ではなく自らの最も重要な問題として捉えようとしていることだ。例えば詩誌「柵」二九八号の小城江壮智さんの「十月である」の最終連は次のように終わる。

 こちらにも放射能セシウムがきた
 あの 真夏にさむいくらい冷やしたツケが飛んできた
 交付金はいっときのゆめ
 容赦ない寒波のまえの
 今しなければならないことを かんがえる 
 
 小城江さんは、自分のことのように語りながら実は、原発に依存してきた多くの日本人に対してこれから生き方を変えなければならないことを告げている。その方法は自分で考えるしかないのだと自問しながら、エネルギー問題を自分の生き方の問題であることを淡々と語っている。このような姿勢が私は脱原発の詩を書く前提のように感じられた。

 「詩人会議」十二月号の「二〇一一年自由のひろば・最優秀作品」の島田奈都子さんの詩「みず売り」は私たちが放射性物質で水を汚してしまった後に見る夢には、「みずは、いらんかね いらんかね」という「夢のこだま」が響いているそうだ。その一部を引用する。

 魚は干上がった子宮の水槽で
 ぴちゃんぴちゃんと哀しく跳ねる
 死ぬ すんぜんだ
 お前たちが知らずに
 ほうしゃのうをも 飲んで
 しまわないように 生かすために
 みずを あすも 買いにゆく

 現在、妊娠中や、幼児や子供を抱えた親たちは、マイナスの環境からいかに胎内の「魚」である子供たちを守ることが出来るかを日夜考えているだろう。そんな思いを深く詩に刻むとこのような詩に結晶するのではないか思われた。

 同じく「誌人会議」十月号の熊井三郎さんの詩「ぼく くまのぷーさんだよ」にも、放射性物質に取り囲まれた子供たちへの心配が溢れている。

 ぼくならもういい だけど
 来ちゃだめだよ こどもたち
 目に見えない悪魔は
 やわらかい体が好きなんだ
 来ちゃだめだよ こどもたち

 廃墟に置かれているぬいぐるみの自分に「悪魔の粉」が降り注ぐのはかまわない。しかし自分と遊んでいた子供たちには、この場所を「来ちゃだめだよ」と立ち入り禁止する。四〇年以上前に原発を導入した当時の東電の社長は、初めは原発を「悪魔の技術」と呼んで、導入をためらっていたそうだ。しかし政治家、アメリカの支援によって悪魔に心を譲り渡してしまった。その結果が熊井さんの語る「悪魔の粉」を子供たちに降り注いでしまったのだ。

 詩誌「多島海」二〇号の彼末れい子さんの詩「乳歯」の観点は、福島原発事故を世界に発信する貴重なデータになるかもしれない。大気中に放出された77万テラベクレルがどのように子供たちの身体に取り込まれていったか記録するために、次のように提唱している。

 ガイガーカウンターでは測れない
 しかし はっきりと証拠を示せるものがある
 それは子どものやわらかな乳歯
  (略)
 いまは 早急に その抜けた乳歯が要る
 七十七万テラベクレルの行方を知るには
 列島の放射能汚染地図を作るには
 願いをかなえるおまじない入りの
 全国の子どもの乳歯が要る
 
 この詩「乳歯」には、とてもしなやかな発想で、この福島の悲劇を世界に伝えるヒントが隠されているように感じた。このような人類が未だ経験したことのない四基の原発が同時に破壊された時の放射能汚染の実相を様々な観点から後世に残す必要があることを彼末さんは物語っているように思われた。

 詩誌「炎樹」六十五号の三浦健治さんの詩「浜通りのひとたち」は、会津・中通り・浜通りの三つに分かれている福島の人びとの複雑な思いを伝えてくれている。会津は独自の文化・歴史を持っている。中通りは、福島市や郡山市など福島県など市が連なっていて政治経済の中心だ。浜通りはいわき市や南相馬市や原発を抱えてきた双葉町・大熊町・浪江町など海辺に面した過疎の市や町だ。私は原発事故が起こる前に、中通りの若者たちが浜通りの原発の存在を知らなかったり無関心であったことに驚いていた。若松丈太郎さんのように危機意識を抱いていた人物と中通りの若者たちとの原発への認識の落差がこのような取り返しのつかない事態を生んでしまった背景だろう。三浦さんの詩の最終連を引用してみる

 日本人は知っていた
 その恐ろしさを だれより
 放射能と
 放射性物質ということばを
 混同するほどの 原初的な体験があったから
 家を追われ
 歯ぎしりする
 浜通りのひとたちも知っているだろう
 その破壊的なものが
 郷土よりもっと遠くまで
 国境の外まで運ばれていくことを。

 三浦さんは日本人の多くが「放射性物質」の怖さを誰よりも分かっていたにもかかわらず、それを封印して原発を受け入れてしまったことを自戒している。「浜通りの人たち」も分かっていてもそれを受け入れてしまったことで「家を追われ/歯ぎしりする」存在になってしまったことに深い同情を抱いている。しかし原発の「破滅的なもの」が郷土を越えて世界に広がっていくことの責任を「浜通りの人たち」もその他の日本人も引き受けなければならないことをこの詩で示そうとしているように私には読み取れた。その責任の取り方はもちろん一人ひとり考えて実行するしかないと暗示している。

 翻訳詩とエッセイ「オーロラ」十六号で矢口以文さんが「木の葉」という短い詩を書いていた。世界の人びとの視点から見れば日本人の作り上げた原発とは次の儚いものだったかも知れない。

 この国は
 地震の波間に漂う
 木の葉

 そのうえで
 原発が群れをなして
 踊っている

 矢口さんの視線は、海外の人びとの視線であり、日本に原発を維持しようとする人びとの行為の未来への無責任さを明らかにしている。矢口さんのような方を通じて海外から優れた脱原発の詩篇を集めることは可能ではないかと期待している。

 詩誌「交野が原」七十一号に斎藤貢さんの「詩の非礼」は、詩の言葉の噓を暴く詩のようだと考えさせられた。詩人名簿の斎藤さんの住所は浜通りのいわき市になっている。

 放射能は降らないが、
 放射性物質の。ヨウ素やセシウムは、風に乗って飛び散ったろう。
 だが、
 ほんとのふくしまの空に降り注いだのは、
 放射性物質ではなかった。
 ヨウ素やセシウムのような、揮発性の高い数多の言説。
 軽くて。無責任な。噓偽りの。罪悪な。まやかしの。偽善者の。
 言葉の放射能。

 ふくしまに。放射能は降らない。
 
 被災などしていないのに、
 被災者の言葉をまき散らして、ふるさとから逃げ出した。
 その、詩の非礼に、あなたは恥じなければならない。

 斎藤さんは福島原発から20㎞圏内の南相馬市小高区の高校に勤務する教職員であり、地震・津波・原発事故に遭遇した被災者でもあるとも伝え聞いている。きっと、斎藤さんは福島原発事故を機に、内面を通過しない即興的な言葉で原発を非難するだけで詩であるかのように表現する詩人たちの言葉の危うさを批判している。「言葉の放射能」や「詩の非礼」という激烈な言葉は、脱原発を書こうと志す詩人にとって自らの内面に「言葉の噓」を自戒しなければならない指摘であると考えられる。

 最近書店で見かけた、福島県川内村に住む小説家たくきよしみつ氏のノンフィクション『裸のフクシマ 原発30㎞圏内で暮らす』という本の中に引用されてあった小学校六年生の少女の抗議文を引用したい。

 原発は私のすべてをうばった。私の大切な大切な故郷も仲間も学校も今までやってきたこともすべて…。
 原発さえなければ、こんなに悩むことも苦しむこともなかった。
 原発さえなければ。なんで原発なんでつくったんだよ。
 川内のみんなとこれからつくりあげていくはずだった歴史もすべて。
 あなたは私の何を保しょうしてくれますか?
 私の時間を私の仲間を私の心をすべてうばった。
 あなたは私のすべてを保しょうしてくれますか?
 こんな思いをいだいているのは私だけではないでしょう。
 あの美しい川内村をあのあたたかい川内村を
 かえしてください
 私のふるさとを返してください。
 楽しい思い出がつまった川内村を返してください。
 原発のせいで、多くの命が消えました。
 どれだけ私達にとって川内村が大切だったか。
 お金なんかじゃ、けっして保しょうなんかできないんです。
 あなたを私は絶対にゆるさない。
 すべてをうばったあなたを。
 原発なんて絶対に。

 この文章は六月二十一、二十二日に河内村で東電社員と村民が補償の件で紛糾した際に、一人の議員が少女から預かっていた抗議文として読み上げられた。この抗議文が読み上げられて直後、場内は静まり返ったという。私はこの少女の抗議文は、原発から最も被害を受けた当事者からの怒りと絶望が入り混じった凄まじい抵抗詩として読まれると感じた。このような原発と原発を作った人びとへの抗議文を十二歳前後の少女に書かせてしまう現実が今も進行しているのだ。

 詩の引用の最後に青木みつおさんの新詩集『東北の大地』から再生可能エネルギーの可能性を語る「ドイツで」という詩の最後の三連を引用したい。

 ドレスデンで
 ぼくはエルベ川を見て
 風に吹かれていた
 
 風力発電の普及が進み地域によって
 風車は二代目 三代目になるのだという
 うらやましいのは
 彼らが地域ごとに必要 可能な方法を生みだしていること

 風に吹かれているだけでは
 未来はつくれませんね
 この国でも再生可能エネルギーのとりくみは始まっている 
 新しい歴史の流れに
 新しい漣が見えてきた

 この詩行の前には、エルベ川流域二十七市町村は住民の意思で「再生可能エネルギー一〇〇パーセント地域」を目指す方針を掲げていることが語られていた。日本は原発事故の放射能汚染によって傷つき、今も混乱の最中にある。それでも「新しい歴史の流れ」を作っていかねばならない。その「新しい漣が見えてきた」と語る青木さんの眼差しが見据えているものは、住民の意思を反映させた地産地消の再生可能エネルギーだろう。真に地域を豊かにするものが何であるかという問いを青木さんの詩は確かに伝えてくれている。
 
  3
 二〇一一年三月十一日の東日本大震災による福島原発事故は、日本人だけでなく世界の人びとの生き方や価値観を含めた科学技術文明の根幹の問い直しを突きつけられている。福島を抱えた日本は、福島を通して世界の文明の危機を克服する可能性を追求すべきではないか。詩を志すものは、自らの詩作で身近なところで声を挙げていくべきだろう。未完成な科学技術でしかなく、関わる人びとを被曝させる原発は、人間だけでなく地球環境そのものを取り返しのきかないように不幸にしてきた。原発から人間を自由にさせるためにはどのようにしたらいいか。それを様々な角度から詩に書いて欲しいと願っている。それが原発事故で苦しんでいる福島の人びとへの励ましになり、全国の原発を廃棄するための努力を傾注している人びとをも勇気づけることにつながるはずだと考える。日本語だけでなく英語にも翻訳するので、世界の人びとにも読まれる詩篇が望まれる。今こそ原発という「悪魔の技術」から人類と地球を解放すべきだと思われる。
 以上の趣旨と方向性で左記のような章立てで詩篇を公募いたしますので、ぜひご参加ください。(実際の章立ては集った詩篇に基づいて変更がある予定) 

『脱原発・自然エネルギー二〇〇人詩集』の趣旨・方向性

一章 原発の危険性を予知・予言していた詩篇(過去に書かれた詩篇)
二章 3・11以降の福島原発事故について触れた詩篇
三章 全国の原発・世界の原発の廃炉を目指し新たな郷土を目指す詩篇
四章 脱原発・自然エネルギーの可能性を暮らしの中に発見していく詩篇
五章 福島の経験を世界の人びとや百年後千年後の人びとに伝える詩篇


【詩二篇】

〈本当は大人たちは予想がついていたんじゃない〉

市民団体・子供環境会議が
福島の子供たち二十五人と
首都圏の子供たち十五人を
静岡の山間の禅寺に招待した

朝は座禅を組み
昼はフットサルや流しそうめん
雨が降ると必死に逃げる
「大丈夫だよ」といわれると雨の中に駆け出した
夕食の野菜たっぷりのけんちん汁をみて
 〈野菜の産地はどこですか〉
静岡の野菜だと知ると
 〈食べてもいいんだぁ〉
 〈お父さんやお母さんに持って帰りたい〉
 〈家族の分も食べます〉

班ごとで模造紙に本音を記した
 〈放射線のない所へ引っ越したい〉
 〈差別されてる 福島はきれいですよ〉
 〈政治家はなにをやっているの?〉
 〈大人はおろか〉
 〈子供の話を聞いて欲しい!〉
 〈本当は大人たちは予想がついていたんじゃない!〉
 〈命よりも金だったから、判断する力が鈍っちゃった〉
 〈命が長く続く環境が欲しい〉
そして〈福島は見捨てられている〉と子供たちは語った

首都圏の子供たちから〈今度会いに行くね〉と言われて
バスに乗り込む時に福島の子供たちが泣いて告げた
 〈今は来ない方がいいよ〉

*二〇一一年九月九日付・朝日新聞記者中村真理「福島の子 本音 あふれた」を参考。
   

日本は福島の一部となっている

3月初めは柏の街路にもレンギョウやハナズオウが咲き出し
手賀沼の岸辺には桜やモクレンの蕾が膨らみ  
田んぼの畦道にタネツケバナやヒメオドリコソウがあふれる
そんな春の一日であった3月11日以降に
広島原爆29・6個分である77万テラベクレルの
放射性物質の一部が放射性雲に乗って
福島第一原発から200㎞先の
私の暮らす柏にも二度やってきた

一度目は3月14日深夜から15日午後
二度目は3月21日夜から22日未明
いったいどのくらいの放射性物質が
茨木と千葉に雨と一緒に降り注がれたのだろうか
7月下旬週刊誌記者がガイガーカウンターで測定すると
植物園のような憩いの場所の柏の葉公園では
毎時1マイクロシーベルト以上だった
仮に公園内に止まると一日で24マイクロシーベルト
年間365日で約8ミリシーベルトになり
国の基準1ミリシーベルトの8倍になる
幼稚園の父母たちが通園ルートを測ると
0・3~0・4マイクロシーベルトあり
年に1ミリシーベルトを楽に超えてしまっていた

文部科学省はヘリコプターに高感度の検出器を乗せて
地表1メートルの放射性線量を明らかにして
詳細な汚染マップを作り続けている
その汚染データは平均化されてホットスポット分かりにくい
しかも民間の測定データよりも低い値だ
いつも国や電力会社は真実を隠し続ける
きっとこれからも隠し続けるに違いない

9月になって私の家から車で5分ほどの根戸の側溝から
27万6千ベクレルの高濃度のセシウムが発見された
地面30㎝を地中の線量は57・5マイクロシーベルトだった
この数字は年間でいうと500ミリシーベルトになってしまう
きっとこのようなホットスポットは無数にあるのではないか
柏に暮らす人びとも福島の人びとの苦悩を抱き始めている
側溝近くの樹木や野草もすでに被曝している
手賀沼の水鳥も鮒も鰻も水生植物も葦原もすべてだ
水辺のミゾソバ、シャクチリソバ、イシミガワもすべてだ
すでに柏は福島の一部になっている
いや日本は福島の一部になっているのだろう
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  1. 2011/12/27(火) 18:09:43|
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