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コールサック82号

請戸小学校の白藤       鈴木 比佐雄


海から三四〇mで外階段のついた三階建の塔
太陽光発電システムのついた二階建ての校舎
中は亀の甲羅のような珍しい楕円の体育館
そんな請戸小学校に近づくと
なぜか子どもたちの悲鳴が木霊してくる
あの時はどんなにか怖かったろう
海が真っ黒になって押し寄せてきたのだから

マグニチュード9の地震は
卒業式会場の体育館の床を陥没させた
子どもたちは海が引いてゆく奇妙な音を聞いたのか
それとも聞いたことのない海からの轟音を聞いたか
東電福島第一原発から五kmの小学校は激しく揺れた

「津波が来る。大平山に向かって逃げるぞ。
 頑張って歩くんだぞ」

八十一名の子どもたちと教職員十三名は
一五〇〇m先の大平山へ四〇分後に駆け上った
その十分後に津波は校舎を呑み込んだ

それから四年が過ぎ
漁船や家々の残骸は片付けられたが
壊れた藤棚から白藤が地を這い
荒れ野の中で逞しい白光を放っていた
二階建ての請戸小学校の時間は凍りついたままだ
校舎よりも高い塔に過去二回は昇ることができて
第一原発の排気塔を眺めることができた
しかし今は階段は封鎖されて昇ることは出来ない
階段が老朽化してしまったからか
ところでこの塔はどんな目的で作られたのか
津波を見張るためか、原発の爆発を見守るためか
いや美しい朝焼けを見るためだったか
何か他の目的があったはずだろう
子どもたちにこの塔をどのように
利用していたかを聞いてみたい

各教室の後ろの本棚には
絵本、図鑑、教材などが残ったままだ
原発の交付金で作られたプレートも残ったままだ
二〇〇名近くの浚った津波や原発事故を目撃できた小学校
これほど危険な場所になぜ小学校が作られたのか
そんな危機を事前に予知していた大人たちがいなかったか
知っていてもなぜ語らなかったか

いま請戸小学校周辺はシャベルカーが地をならし
汚染土の仮置場の仮置場になっていた
藤の白い花が咲いている学校脇も
次に私が来る時は仮置場になっているか
いや請戸小学校も仮置場にされてしまうか
大人たちの愚かな記憶を葬るために
けれども決して恐怖の記憶までは葬れないだろう
請戸小学校の花壇には白藤以外にどんな花が咲いていたのか
大平山から数キロ歩いて六号線に着き
トラックに助けてもらった時にどんな思いだったか
今は中学生か高校生になった子どもたちに聞いてみたい





編集後記           鈴木 比佐雄

 二月二十二日に常磐道を車で走りいわき市を越えて、南相馬市民文化会館で開かれる加藤登紀子さんのコンサートに向かった。若松丈太郎さんの『福島核災棄民―町がメルトダウンしてしまった』には、若松さんの詩「神隠しされた街」に曲を付けて歌ったCDを付けさせてもらったこともあり、若松さんと一緒に聴きに行くことを計画していた。常磐道は三月一日に全面開通することが数週間後に控えていたが、まだ常磐富岡インターまでしか常磐道は通れなかったので、その先にある浪江町と南相馬市のインターには行くことができずに、常磐富岡で降り一般道を経て夜ノ森駅近くに来た。ここは桜並木で有名だった。裸木であったが桜が咲いたら美しい場所になることは想像できた。駅前や商店街に立ち寄って行こうとハンドルを切ろうとしたら、停止棒を持った警備員が駅に続く道に立ち、立入禁止を告げていた。六号線(陸前浜街道)に出て北上ししばらく走ると、大熊町と双葉町にまたがる東電福島第一原発が右手にあることが気になってしかたがなかった。六号線の両側に汚染土を詰めた黒いビニール袋が所々に置かれている。田畑や雑木林なども除染したところもあるが、しかしその汚染土は黒いビニール袋に詰め込まれて置かれているだけなのだ。右手の第一原発に入る道々には、停止棒を持った警備員が必ず立っている。事故から五年目に入った原発周辺は黒いビニール袋が増え続け、顔のない警備員によって守られ続けているのが現状だ。若松さんと待ち合せてコンサート会場に行くと、浪江町から南相馬市に避難している根本昌幸さんが待っていてくれた。根本さんの家は浪江町インターの近くにあったが未だ帰還することは出来ない。久しぶりに会い近況を伝えあった後に、若松さんと加藤さんに会いに行くと、リハーサルをされていた。登紀子さんはコンサートでの曲をすべて歌ってバンドメンバーと確認しあっていた。コンサートと同じ時間のリハーサルが必要ですとプロダクションの徳田修作社長が語ってくれた。袖口から聞かせてもらいプロとはこうなのだと強く感じた。コンサートが始まる前に加藤さんと私たちは話す事も出来た。コンサートを聴きながら私は、登紀子さんがいつもとは違うと感じた。かなり前にこの地でコンサートを企画した多くの市民ボランティアが再び加藤さんを呼ぶために尽力したことを感じて、3・11以降に初めてこの地でコンサートをすることに特別な感慨を抱いているようだった。初めから何か胸にこみ上げるような感情が今にも爆発しそうで、それを抑えながら歌っていることが分かった。登紀子さんは震災と原発事故を抱えて生きる南相馬市の苦悩を背負い込んで歌っているようだった。何度もコンサート聴いているので、このような登紀子さんは初めてだったが、一人の表現者として会場の様々な悲しみや無念さを汲んでいたとても心に沁みたコンサートだった。コンサート後の交流会で登紀子さんの隣に座っていた浪江町と南相馬市にまたがる非営利一般社団法人「希望の牧場・ふくしま」代表の吉沢正巳さんと話すことができた。吉沢さんは自分を牛飼いであり、行政からの被曝した牛三〇〇頭の殺処分を拒否して、「原発事故の生き証人」として後世に残そうする活動をしている。中には放射能汚染による白斑牛も含まれている。その牧場に行くことを吉沢さんに約束して私は車に乗り込み帰途についた。帰りの六号線と夜ノ森駅周辺では、赤い光を発した停止棒を持った警備人たちが深夜にも関わらず立って監視している。その光景は背後に壊れた四機の原発が今にも出現するような言い知れぬ恐怖感があった。
 「希望の牧場・ふくしま」に行く機会は、四月三十日に訪れた。須賀川の俳人永瀬十悟さんから高名な俳人の高野ムツオ氏とその俳句結社「小熊座」の十名ほどの仲間たちが「希望の牧場」と請戸地区の浪江町、小高区などの南相馬市に行くので一緒に行かないかと誘われたのだ。前日には若松さんに会い、三十日は行動を共にした。「希望の牧場」は、山を切り拓いた牧場に牛が点在している一見するとのどかな感じだが、原発から一四kmだが毎時3~5マイクロシーベルトでまだかなり高い。吉沢さんは三〇〇頭の命を人間の命と同等のものだと感じている。殺処分をすべきだという理不尽な絶望的情況の中でも、その命と共に生きようとしている吉沢さん、それを助けている実の姉上、ボランティアのスタッフ、野菜など牛の餌を支援してくれているスーパーの経営者、牧草を提供してくれる酪農家の仲間たちの志や行動力に、私は希望を見出した。まさしく掛け値なしに「希望の牧場・ふくしま」であり続けている。
 今号も今の時代が置かれている人間の内面を深く見つめて書かれた詩篇を数多く掲載させて頂いた。詩、俳句、短歌などの季刊評・時評なども多くの作品に向き合って読み解いてくれている。また俳句、短歌、エッセイ、評論、翻訳、小説なども集まり、「コールサック」(石炭袋)は詩をベースにしているが、総合文芸誌に向かっていると思われる。「コールサック」はこの雑誌に寄稿・参加する人たちのための雑誌であり、寄稿者によって豊かに発展していくことを願っている。
 『平和をとわに心に刻む三〇〇人詩集―十五年戦争終結から戦後七十年』の試みについて二月一六日の朝日新聞「天声人語」で取り上げられた。HPや今号の広告欄でも紹介しておりますのでご覧ください。現在、編集の真最中で様々な観点からその詩人独自の「平和」への思いが切実なイメージと共に喚起されてくる。この号が出るころにはすべての詩篇は確定していると思われるが、もし手持ちの優れた詩篇がありぜひ参加されたい方があれば至急ご連絡下さい。
 今号の評論〈「ヒロシマの哲学」と「コベントリーの精神―平和と和解」〉は、浜田知章たちの原爆詩運動の展開や広島の「コベントリー会」が主宰した英詩の朗読会について触れさせてもらった。朗読に参加した上田由美子さんとイギリスから来日したアントニー・オーエン氏のその後の研究会の講演録も収録してあるのでお読み下さい。
 石川逸子さんのご主人で陶板彫刻家の関谷興仁さんの美術館「朝露館」が大震災で閉鎖されていたが、五月上旬にリニューアルされて開館した。そのオープンを祝う会が五月十七日にあった。二十世紀・二十一世紀に流された世界の民衆の血の記憶を陶板に記している。益子町益子四一一七-三(電話:0285-72-3899)なので一度立ち寄って欲しい。今の時代だからこそこの「朝露館」の戦争責任を決して忘れない、心に刻まれた言葉が必要だと感じた。
 次号へのご寄稿も宜しくお願い致します。
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  1. 2015/06/12(金) 15:25:20|
  2. 詩篇・編集後記
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詩誌「コールサック」81号刊行

3月1日に詩誌「コールサック」の最新号、81号刊行します。
ここに私の詩篇とあとがきを掲載します。

人の命を奪わない権利    鈴木 比佐雄

桜の咲く季節になると
宗左近さんが主宰した市川縄文塾の仲間たちと
毎年、弘法寺の枝垂れ桜の花見を思い出す
晩年の宗左近さんは
桜は弥生人が持ち込んだ花だと言いつつも
自らを「桜狂い」と語っていた
桜の咲く季節になると
顔がほころんでいた
私もこの寺には高校時代から通っていて
死んだ弟や父母や恩師を偲んでいると
宗左近さんはその気持ちを汲んで
「さようならは ない」
という言葉を自筆で与えてくれた
その言葉は私の胸に今も刻まれている

宗左近さんが二十歳代の頃
日本では良心的兵役拒否はありえなかった
徴兵制から逃れるために食事を取らず
身体を酷使して身体を壊し
自らを狂人にして兵役を逃れたという
戦争を拒否しても
一九四五年五月の繰り返された東京大空襲で



宗左近さんと母は炎から逃れるために走ったが
母の手は離れてしまい
戻ってみると母は炎えていた

桜の咲く季節になると
宗左近さんは仲間と花見をして
桜並木が眼下に見える小さなレストランで
小さな句会を開いた
句でも一行詩でも短詩でも何でもありだった
その作品の愛情あふれる解説の後に
特選だった数名にワインをプレゼントされた
宗左近さんの笑顔は桜が咲いたようだった
東京大空襲で死亡した母や親友達を偲んでいたのだろう
桜の花見が続く平和な時間が続くように
胸にはイラク空爆反対のバッジを付けていた

一九四三年十月に明治神宮外苑競技場で
数万人の学生が銃を担いだ学徒出陣式があった
「生等もとより生還を期せず」という答辞が読まれ
その一月後に入隊前の国民学校教師だった寺尾薫治さんは
「僕は軍隊の行進の音が嫌い」と語り自死した
フランス語の本やロシアの演劇の本を読み
イタリア民謡を口ずさんでいたという
子を亡くした母は「戦争が憎い」と死ぬまで語っていたと
四男の絢彦さんが長兄の薫治さんに関する資料を
冊子にまとめたという記事を読んだ
               (朝日新聞2014/10/23)
宗左近さんだけでなく学徒出陣を促された数多くの学生が
薫治さんのような思いに駆られただろう
絢彦さんもまた兄を偲んで桜を眺め続けているのだろうか

二十歳を過ぎた韓国人青年の李イェダさんは入隊前に
600ドルと片道切符を手にパリへ向かった
               (朝日新聞2014/10/25)
自らを「1匹の蚊も殺せない性格」だといい
中学生の頃に手塚治虫の漫画「ブッダ」に感動し
「人の命を奪う権利はなく、殺人の訓練は受けられない」と
国を捨ててフランスへ難民申請をして認められたという
李イェダさんを日本へ招待した作家の雨宮処凛さんの前で
「正しいと思うことをするためには外国にいくか、
 刑に服すしかない。こんな社会にしてならない」といい
本当は日本に難民申請をしたかったが
日本では難しかったと語った
きっと宗左近が生きていたら
この若者に共感し自らを重ね合わせただろう

もうすぐ桜の咲く季節になり
イスラエルの良心的徴兵拒否の若者についての
詩を書きたいと亡くなる前に語っていた浜田知章さんと
縄文の愛の精神を生きた宗左近さんたち父の世代から
また呼び掛けられるだろう
「人の命を奪わない権利」を日本は残しているのかと


編集後記 鈴木比佐雄


 早朝の散歩で二月の田畑は霜柱が立ち、それを踏みしめると切ない音が聴こえてくる。多くの野鳥の声は、この世界は多様な生ける存在者たちが棲む空間から成り立っていることを知らせてくれる。鳥の声を感じることが出来る時は、心がゆったりしていて鳥の言葉を理解できたら、どんなに楽しいかと異次元時空間の空想にふけるのだ。鳥語を理解しようと感ずることと詩を読みその詩に感動しその詩や詩人を論じたいと思うことは、どこか共通点があるように感ずる。秋から冬にかけて東北の詩人・作家たちから多くの林檎を戴いた。その林檎を食べた後の皮を切り刻んで庭の餌場に置いておくと、鵯や目白などが必ずやってきて食べ散らかしていく。東北の恵みを享受することのささやかなお返しである。
今年は、戦後七十年であり、コールサック社を株式会社して十年目を迎える。しかし新年早々に私は二人の「父」を失った。一人は義父であり、妻の実家の秋田で若い頃から宗教・思想・評論・美術書などの新刊を買い求め読破し、クラシック音楽を愛し、豊かな精神生活を生涯送り続けた。三男であったが母の老後を見るために進学を諦め秋田に留まり、秋田の森林関係の仕事に生涯従事した。曹洞宗の禅寺の家系なのでお経は朝晩欠かさずに行っていた。私は義父の背中を見ながらそのお経を聴くことが楽しみだった。文体から本質を見抜く力があり、全国的に高名な評論家であっても、容赦なくその問題点を指摘した。秋田に帰るたびに、酒を呑みながら、様々な本の話をしてきた。義父の禅的な仏教思想と私の学生時代から関心のある実存主義・現象学・存在論とは突き詰めていくと共通性があると私は感受させられていた。また私のよく知らない芸術家・批評家たちの魅力も数多く紹介してもらった。その意味で私の出版活動にとって最大の理解者・応援者であった。コールサック社が刊行した『畠山義郎全詩集』の著者である詩人で合川町長を四十年以上勤めた畠山義郎氏は、義父と鷹巣農林高校の親しい同級生であり、二人とも戦前から文学・評論・芸術など、そして秋田という風土を愛する青年であり、地に足がついた自由人であった。それ故に二人とも戦争中は軍部に睨まれた。地方には二人のような本当の知識人がいたが、そのような人びとが少なってきたことが本の売れなくなってきた背景としてあるのではないかと思うのだ。
もう一人は岩国・広島の詩人である御庄博実さんだ。一九九七年に「火皿」の御庄さんや長津功三良さんたちが浜田知章さんを広島に招待し講演会を開いた。私は浜田さんに同行して、二人の酒席で紹介されたのが初めだった。二〇〇一年に『浜田知章全詩集』を刊行した際には、広島で御庄さんが中心になって出版記念会を開いてくれた。また二〇〇七年に刊行した『原爆詩一八一人詩集』には序文と二篇の詩を寄稿してくれ、多くの詩人たちにこの詩選集を勧めてくれた。『原爆詩一八一人集』の初校を御庄さんに送るとすぐに電話をくれて、本格的な『原爆詩集』が出来たことをいち早く喜んでくれ、編集への労いの言葉は本当にうれしかったことを覚えている。御庄さんは被爆医療に携わる医師であり、韓国人被爆者やイラクでの劣化ウラン弾で被曝した子供たちへの支援を行った実践的な詩人だった。私は御庄のような詩人が真に日本を代表する日本の宝のような詩人なのだと今も考えている。そのような二人の「父」を亡くして、日が経つにつれてその存在の大きさに気付かされるばかりだ。今号の私の評論「戦後七十年 広島・福島そして原郷を担う詩人―御庄博実・長津功三良・若松丈太郎・柴田三吉・原子修の試み」をお読み頂ければと思う。東電福島第一原発事故を引き起こし、今も多くの人びとを苦悩させている戦後七十年を五人の詩人を通して考えさせられたことを記した。
募している『平和をとわに心に刻む三〇〇人詩集―十五年戦争終結から戦後七十年』は、多くの詩篇が届き始めた。当初は締め切りを三月末日と考えていたが、四月末日に延期したいと考えている。公募を待つだけでなく収録させて頂きたい詩篇についてはこちらから収録をお願いしたいと考えている。先日、ある新聞社の記者からこの詩選集に関する取材を受けた。詩人たちが戦後七十年において「平和」の意味をどのように感じて考えているにとても関心があるようだ。戦争責任を「心に刻む」と戦後四十周年に語ったドイツのヴァイツゼッガー元大統領も先日亡くなってしまった。この言葉はどれほど世界に影響を与えてきただろうか。この言葉を真剣に考える戦後七十年にしたいと願ってこの企画を提案させて頂きた。ぜひご参加下さい。
宮沢賢治は、短歌から始まり童話、詩、セロの演奏、田の肥料設計、花壇の設計、作詞作曲、文語詩など多くの表現活動をした。その表現の幅の広さは必然性があり、根底には変わらぬ詩的精神が宿っている。私は詩人が詩だけでなく他の表現活動をすることによって、違う分野の手法によって詩の領域をより豊かにするだろうと考えている。その意味もあり、今号から時評、詩集評、詩誌評だけでなく、俳句時評、短歌時評も開始した。俳句評は川村杳平さんで、コールサック社から俳人歌人評論集『鬼古里の賦』を刊行した俳人・評論家で、全国的な視野を持ちながら特に関東・東北の俳人・歌人に詳しく、歌人大西民子の評伝も執筆している。また原詩夏至はコールサック社から歌集『レトロポリス』と小説『永遠の時間(とき)、地上の時間(とき)』を刊行した。原さんは詩以外に短歌、俳句、小説そして評論なども手掛ける表現者だが、どの表現にも独創性があり切実な課題を背負っている。
在日の小説家黄英治(ファン・ヨンチ)さんによる連載が続いていた小説『前夜』が今号で完結した。この『前夜』の試みは、戦後七十年が来てもアジアの人びとを蔑視する感情を克服できないで、その人権や名誉を踏みにじる心無い言葉の実相を暴きだしている。その突き付けられたものは、日本人の中の他者性の貧困であり、在日の二人の若者を通して、ヘイトスピーチを発語することを許容してきた日本人の言葉に対する危うさである。ヘイトスピーチは麻薬のような言葉でこれは治療しないと社会全体に不信感が増幅し人間を侮蔑させて社会を死に至らせる病だろう。この小説は初夏には発行予定だ。
今号ではカラー頁の冒頭に清水茂さんの水彩画とエッセイを寄せて頂いた。清水さんの絵はこの世にあることの喜びを感じさせてくれる一篇の詩だ。沢山の詩、エッセイ・評論、翻訳、書評などをお送り下さり感謝致します。次号にもぜひご寄稿下さい。



  1. 2015/02/24(火) 16:02:45|
  2. 詩篇・編集後記
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【詩誌「コールサック75号」発表詩2篇】【編集後記】

4月30日に詩誌「コールサック」(石炭袋)75号を刊行しました。その中の私の詩2篇と編集後記は、私のいま考えていることなのでご紹介致します。少し長いですが、お読みになって下さい


 タイアン村の海亀      鈴木 比佐雄


一九七〇年夏の福島県浜通りの町に住む
伯父夫婦は数十キロ先の福島原発が
来年稼働することをこわごわと話していた
そんな光景が今も胸に焼き付いている
二〇一一年三月一一日の東日本大震災で
海や山の恵みで暮らしていた二七〇世帯の家々は
津浪が押し寄せて壊滅してしまった
伯父夫婦の息子は運よく高台へ逃げることが出来たが
母の妹の叔母は避難の疲れで
一年後の三月十一日に急死してしまった

「波の神」といわれる津浪伝説を持つ
ニントゥアン省のファンラン市から北へ二〇㎞
人口二〇〇〇人が暮らすタイアン村
海亀が生息しサンゴ礁もある美しい海岸線
豊富な魚介類 葡萄、葱、大蒜の農産物
山羊、羊、牛、鶏の家畜
穏やかな気候の中で人びとは笑顔で暮らしていた

福島原発事故の起こる半年ほど前
二〇一〇年十月にこの地に原発を作ることを
ベトナムと日本政府が取り決めた
村人たちは北数㎞先へ移住させられた

けれども二〇一二年五月二十一日 ベトナムの市民四五三人が 署名し
日本政府がベトナムの原発建設を支援するのは
「無責任、もしくは非人間的、不道徳な行動だ」と抗議する文 書が
在ベトナム日本大使館や日本外務省に送付された(*)

日本政府はこの抗議にどのような回答を持ち合わせているのだ ろうか
放射能汚染の影響でいまだ十六万人もの避難者を出しながら
ベトナムの人びとの不安や恐怖を押し切って
日本で破綻した「安全神話」を回答にして
原発を二〇一五年から建設し二〇二〇年に稼働させてしまうの か
「波の神」は原発を越えてしまうのではないか
サンゴ礁を泳ぎ海辺に卵を産み付ける
海亀の未来を奪っていいのだろうか
タイアン村の暮らしを永遠に奪っていいのだろうか

*「東京新聞」二〇一二年七月十二日付記事及び、国際環境NGO 「FoE JAPAN」のHP参照。


 こたつシェルター  鈴木比佐雄     


3・11から2年目の朧月
福島原発事故で故郷を離れた
仮設住宅の人びとの目には
在りし日の帰らぬ人や故郷の春景色が
張り裂ける胸の中に現れて
静かに微笑んでいるだろうか

さっき会社訪問から帰った大学生の娘が
黒いスーツを脱ぎ捨て
そそくさと普段着に着替えて
こたつの中に頭から入り込んで出てこない
娘にとってこたつは仮設住宅の
緊急避難所なのだろうか
それとも核シェルターのようなものだろうか

世界で最も豊かな国アメリカの核戦略に
世界で最も貧しい国北朝鮮が
核弾道ミサイルを突き付けている
竹やりの先に核の毒を付けて振り回している
ソウル、釜山、沖縄、横須賀、三沢
そしてグアム、ハワイへと

一九〇三年 ライト兄弟が飛行機を離陸
一九三八年 ハーンとマートンが核分裂を発見
一九四五年 トルーマンが広島・長崎に原爆投下
一九五四年 米軍がビキニ環礁で水爆実験
一九七九年 スリーマイル島原発事故 レベル5
一九八七年 チェルノブイリ原発事故 レベル7
二〇一一年 福島原発事故 レベル7

アメリカ・旧ソ連・日本の次は
どの国に核の悲劇は訪れるだろう
フランスなどのヨーロッパの国々だろうか
経済発展著しい中国などのアジアの国々だろうか
天変地異は人間の浅はかな知恵を超えているので
核燃料棒の冷却装置の配管を軽々と破壊し
放射性物質は地球を汚し続けていく

広島・長崎を一瞬で消滅させた核兵器や
それに転用可能な最高レベルの「悪魔の技術」を持ちたがる
政治家・官僚・兵器と電力産業の幹部たちの
地球を破滅させるニヒリズムの眼差しの果てに
この世にはどこにも核シェルターも核の傘も存在しない
放射性物質で汚染された水や空気は地球を循環し
娘の潜るこたつシェルターにも
私の呑む水割りグラスにも
忍び込んでいるのだから」



編集後記          鈴木 比佐雄

 福島第一原発のある双葉町から広野町までの三〇㎞にわたる波打ち際では、どの海岸でも生息している巻貝の一種である「イボニシ」が消えてしまったという国立環境研究所の研究論文の内容が東京新聞に紹介されていた。「イボニシ」は海洋汚染に敏感で生殖異常を起こすことで有名らしい。福島の山河の放射能汚染は、大熊町・浪江町・飯舘村・南相馬市ではプルトニウムの沈着も発見され、その実態がますます深刻さを増している。海岸線から海そのものも広範に汚染されていることも明らかになっている。南相馬市の太田川沖合い一㎞のアイナメからは、一㎏当たりセシウム134と137合わせて2万5800ベクレルが検出されている。アイナメはカニやエビを食べるので、多くの魚介類も高い濃度で汚染されていることが推測できる。事故当時にストロンチウムが462兆ベクレルも海に流失し、これは世界最大の海洋汚染といわれる英国セラフィールド核燃料再処理工場の放出量に匹敵している。福島第一原発四基の廃炉に向かう膨大な汚染水の漏洩は、原発事故がいかに想像を超えて環境を破壊し続けるかを物語っている。日本人は「原子力ムラ」を本当に解体させる改革が出来るだろうか。自民党政府・行政や東電などの電力会社・原子力を推進した関係者たちは、自分たちの過信がどのような事態を引き起こしたのかを直視しようとしない無責任な確信犯だ。現実を直視しないで再び「安全神話」のムラの森に逃げ込んでいるように思えてならない。父母や祖父母たち先祖が生きてきた美しい福島の海がこのように放射能まみれになってしまっていることは、本当に心が痛む。第二・第三の福島が起こらないようにどのようにしたらいいのか、自分なりに出来ることを実践していきたいと考えている。
 昨年の秋から今年の春にかけて震災・原発事故に関係する次の詩集・句集・評論集を出してきた。芳賀稔幸詩集『広野原まで―もう止まらなくなった原発』、二階堂晃子詩集『悲しみの向こうに―故郷・双葉町を奪われて』、岡田忠昭詩集『忘れない』、若松丈太郎著『福島核災棄民―町がメルトダウンしてしまった』、東梅洋子詩集『連結詩 うねり 70篇 大槌町にて』、永瀬十悟句集『橋朧―ふくしま記』、高橋郁男著『渚と修羅―震災・原発・賢治』、金田茉莉著『終わりなき悲しみ―戦争孤児と震災被害者の類似性』やもうすぐ出るうおずみ千尋詩集『白詰草序奏―金沢から故郷・福島へ』などだ。これらを読んで頂ければ、現在の悲しみと怒りに満ちた情況から、帰らぬ人びとを忘れることなく、いかに未来を切り拓いていったらいいかの様々な示唆が読み取れる。福島県須賀川市の永瀬十悟さんの句集には、二〇一一年に「ふくしま五十句」で角川俳句賞を受賞した五十句を含めた四〇八句が収録されている。朝日新聞の元論説委員で天声人語を四年間担当していた仙台出身高橋郁男さんは、賢治が晩年に自分を含めた人間を戒めた「慢」を胸に秘めて多くの児童を失った大川小学校をはじめ東北の海岸を歩き、震災・原発から引き起こされた問題を自らの内面に問うエッセイを書き上げた。また金田茉莉さんは九歳の時に東京大空襲で母・姉・妹を亡くし戦争孤児になった。父もすでに亡くなっていたため筆舌に尽くせぬご苦労をされた。そんな金田さんが戦争孤児と震災孤児を含めた被災者との類似性を見出し、自らの体験を踏まえて、救済されていない戦争孤児や今後の震災被害者をめぐる様々な支援の在り方などを論じたものだ。ぜひ読んでもらいたい句集や評論集だ。
 北朝鮮の核兵器搭載可能な弾道ミサイル発射が日本などの周辺国との緊張を高めている。二十世紀は無差別大量殺戮兵器が作られそれが使用された時代であったが、二十一世紀もその殺戮兵器が進化しすでに広範に拡散している。世界で最も貧しい国が世界で最も豊かな国を核兵器で威嚇する国際情況は、アメリカの核兵器製造のマンハッタン計画の歴史を北朝鮮が模倣・反復しているからだ。北朝鮮の無謀さを見ていると、日本政府の無謀さもまた同時に浮き彫りになってくる。アメリカの原爆の派生技術である原発による大規模発電の誘惑を模倣・反復し、レベル7の福島原発事故を引き起こし、活断層があるにもかかわらず大飯原発を再稼動させてしまった。またその他の原発も再稼動を目指しているのは、国内の電力供給以外の隠れた目的があるからだ。国内ではすでに新たな原発は作れないので、リトアニア、ベトナム、ケニア、サウジアラビアなど世界中に原発を輸出しようと画策している。このことは冷静に考えれば「福島原発事故の悲劇」を世界に輸出しようとする恐るべき死の商人的な行為だ。東芝、日立、三菱重工とそれらメーカーを後押しする日本政府は、それらの国々の原発建設に反対する民衆を敵に回し、その国の未来の環境を破壊しようとしている。原発などの核に関わる問題は、政治や経済の問題だけでなく、地球で他の生物と共生する持続可能な生き方の問題であり、地球の未来の時間に関わる切実な文明の根幹に関わる問題であることは明らかだ。
 昔もよく聴いていたが最近もジョン・レノンが作詞作曲した名曲「イマジン」を聴きたくなる時がある。若い頃よりも今になって聴くとその詩の意味がより深く伝わってくる。「Imagine thereʼs no heaven Itʼs easy if you try No hell below us Above us only sky Imagine all the people Living for today (想像してごらん 天国なんてないんだと… その気になれば簡単なことさ 僕らの足下に地獄はなく 頭上にはただ空があるだけ 想像してごらん 全ての人々が 今日のために生きているんだと)」。二連、三連は「天国」のところを、「国境」や「所有物」などに代えて展開する。そして 四連目は「You may say Iʼm a dreamer But Iʼm not the only one I hope someday youʼll join us And the world will be as one (僕を夢想家だと思うかも知れない だけど 僕ひとりじゃないはずさ いつの日か きみも僕らに加われば この世界はひとつに結ばれるんだ)翻訳:山本安見」で終わっている。ジョン・レノンは宗教や国境や貧富の差を超えて、いま生きている民衆の側に立って新たな普遍的な価値を目指していた「夢想家」だった。 核兵器の廃棄や原発を廃炉にすることはジョン・レノンのような「夢想家」を一人ひとり増やして「世界はひとつに結ばれる」日を目指すしかないだろう。このような「夢想家」を凶弾で抹殺してしまう世の中は今も続いているけれども。
 今号の三八八頁でも触れたが『ベトナム独立・自由・鎮魂詩集』(日本語・ベトナム語・英語合体版)も日本人の詩は七十篇近く集まってきて、参加者に心からお礼を申し上げたい。ベトナムの詩人はもう少しで一〇〇篇が送られてくるというメールがベトナム文学同盟から入っている。これからベトナム語と英語の翻訳に向かいたいと考えている。
 「コールサック」も二十六年目を迎えた。七十五号も四百頁を超える大冊になり、詩と同様にエッセイ・評論も重視するので今後も変わらないと思っている。今号より編集も佐相憲一さんのほかに亜久津歩さんにも加わってもらうことにした。亜久津さんは元気な男の子を産んで逞しく復帰してきた。女性や主婦の観点で斬新な企画編集をして欲しいと願っている。詩集や評論集などの新刊の編集にも本格的に関わってもらうことにした。
 今までは「コールサック」の多くを贈呈してきたが、勝手ながら次号の七十六号から三号分の「年間購読会員」(三〇〇〇円)になって頂きたいと願っている。寄稿者にもそのお願いをするお知らせをお送りさせて頂いた。詳細は巻末頁でもお願いの説明をしており、「コールサック」の詩運動の持続可能な形を模索しているので、ぜひご支援を宜しくお願い致します。 
 七十六号の締め切りは七月二十日です。

コールサック社ホームページ
http://www.coal-sack.com/

  1. 2013/05/08(水) 15:15:39|
  2. 詩篇・編集後記
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