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コールサック88号

青島に寄せる七篇      鈴木 比佐雄

1 青島の夕暮れ  

初めて見る黄海の青島の海の色は
薄い緑が溶け込んでいた
山東半島の入江の残照が海面を刷いていき
光の粒が一つ一つ海に消えていった
夕暮れのひとときを
若者たちが群れ集い
浜辺の遊歩道に面したカフェで海を見て
眼を輝かして笑い声を立てていた

さっき初めて青島空港で出会った
中国の詩人五名の林莽さん、高建剛さん、李占剛さん、
盧戎さん、沈胜哲さんと
日本の詩人三名の苗村吉昭、中村純、鈴木比佐雄が
浜辺のカフェに入ると奥の若者たちが席を空けてくれた
八人は名物の青島ビールやスイーツを頼み
緑色の小瓶のビールが運ばれてきた
底が鈍角に傾く不安定なグラスにビールが注がれ
乾杯が何度も繰り返された
暮れていく海辺の穏やかな光に包まれて
私たちはライチを摘まみにして
一九〇三年創業のラベルの付いた青島ビールの深い味わいに
不思議な酔いを感じてしまった
ロシアから旅順を奪ったように日本は英国と同盟し
一九一四年の青島の戦いによってドイツから青島を奪った
ドイツ人は青島ビールを残したが日本人は何を残したのか

一九二〇年代半ばに日中のハーフの詩人の黄瀛は
青島日本中学校にいて広東嶺にいた草野心平を呼び寄せて
私たちのように青島ビールを飲んで
「銅鑼」を構想し宮沢賢治を誘おうと話し合ったのだろうか
底が傾いた不安定なグラスに何杯もビールを注いで
日中の詩について語り合っていると
百年前の日中戦争の始まる前の異次元に迷い込んだように
青島の薄緑の海は私たちを包み込むように暮れていった



2 青島の夜のヨットハーバー

青島の港は未だ北京オリンピックのヨット競技場のようだった
巨大な五輪マークのオブジェは湾内にそのまま残っている
それから岸壁まで無数のヨットが整然と並んでいた
どんな人びとがこのヨットを使いこなすのか
休日には中国の企業の成功者たちが
オリンピック選手のように海へ繰り出すのだろうか

岸壁の遊歩道は青島の人びとの憩いの場所だ
普段着のままで恋人や夫婦や友達たちが
穏やかな顔で散歩している
李占剛さんが写真を頼むと誰も笑顔で快く引き受けてくれる
富山大学に留学経験があり社会学を教える李さんによると
就職、住宅、教育問題などで若い世代は生きていくのが大変だ という
けれども若者たちの表情には
異国の人に寄せる国を超えた優しさが感じられた

桟橋からの対岸は高層ビルのライトアップが続いている
青島が巨大なビジネス都市であることが分かる
その光の群が湾の海面に映り浮遊していた
若い女性が海外の懐かしい音楽を流し
小さなスタンドでCDを販売している
それを買う人びとが周りに群れている

この街はドイツと日本が奪い合い
かつては帝国主義列強に翻弄された地だが
今は中国奥地から物や人が集まり世界に船出する場所であり
その準備をしたり帰国後に疲れを癒す場所なのかも知れない
青島の港の夜は不夜城のように続いていた
その中の中華レストランに入り込み
私は生まれて初めて高粱で造られた白酒53°を口に含んだ
日本に何度もビジネスで来日した沈胜哲さんは
その酒を皿の上に注ぎ火をつけると白熱しながら燃え始めた
飲み込むと喉の奥は焼けていくようだった
中国の人びとの底知れぬエネルギーの源を感じた
青島の文芸誌を編集し版画家でもある高建剛さんは
青島の文学者の実情を静かに伝えてくれた



3 青島の朝の光

ホテルの窓辺から見える
早朝の磯に砕ける白い波
朝陽は太平湾の左側から昇っていく
薄緑の海に光の粉が走っていく

入江に浮かぶ小舟は何を釣っているのだろうか
海岸線に沿った四十kmの遊歩道に点在する黒松は
どれも枝を手足のように振り上げ踊っているようだ
遊歩道脇の公園の植え込みの中では
野犬たちが無防備に寝ていたし
野猫もたちもたくさん潜んでいた

青島の人びとは朝が早い
朝の海の光を受けながら
遊歩道の欄干に足を上げてストレッチをする人
苦し気にジョギングする人
深呼吸しながら歩く老夫婦たち
お婆さんと二人で自撮りする孫娘

早朝から車で乗り付けた新婚カップルが
ウエディングドレスとフォーマルウエアに着替えて
浜辺にカメラマンと一緒に降りて行く
朝の海の光をライトにして岩場で撮影が繰り広がれる
主役たちは青島の海を脇役にしてしまう
そんな祝福の朝の光を求めて
次々に新婚カップルが海辺に降りて行く
中国の若い男はフェミニストが多くなり
「暖男」と言われていると新聞で読んだ記憶がある
眼下の「暖男」たちは美しい新妻に合わせて
言われるままにポーズをとっている
青島の海は若者たちが憧れる暖かな海だった



4 青島市文学館の白壁  

青島文学館はそんなに大きな建物ではない
ビルの白い壁面に種まく人が朱色で描かれ
手を後ろに振った先に「青島文学館」と記されている
中に入り階段を上り始めると階段の白壁を有効に使い
青島の詩人や作家たちの残した文芸雑誌や書籍を飾っている
百数十年間の文芸雑誌や書籍が歴史的に配列されている
階段や部屋の白壁をうまく使用し
詩人や作家たちの歩みが顔写真入りで紹介されている
ドイツや日本の侵略の時代でも
文学活動の火は決して絶えなかったことが分かる
文芸雑誌の表紙や目次などを見ていると
粗末な用紙に刻まれた文字が
不屈の精神を刻んでいるかのようだ
人は文字を残す存在である
人びとは文芸雑誌で自由な精神をこの世に残す存在である
人びとはその文芸雑誌や書籍を集めて
後世のために文学館を作る存在なのだろう

一階は喫茶部門になっていてコーヒーを飲んでいると
館長の臧杰さんが顔を出したので質問をした
「一九二五年頃に青島日本語中学に在籍していた
中国と日本ののハーフの詩人黄瀛やその友人の草野心平を知っ ていますか」
臧杰さんは「知らない」と言いながら
すぐに黄瀛をスマホで調べ始める
「最近、中国で研究書が一冊出ていますね」と、
その本の画像や黄瀛の略歴なども見せてくれる
私も最近編集した佐藤竜一『黄瀛の生涯』をスマホで見せた
「その黄瀛の評伝を日本から贈呈します」と伝えると
臧杰さんも「黄瀛のことを調べてみます」と語っていた

いつかこの文学館で黄瀛の詩集『瑞枝』が飾られる日が来るだ ろうか
そんなことを思いながら館を後にした



5 青島の海の見える会議室

貨物船が薄い緑色の海を横切っていた
昼下がりの会議室に中国の詩人たち二十二名が集まり
私たち三人の日本の詩人たちを待っていた

今度の貨物船も昼の光の中をゆっくりと過ぎて行った
私の発表する小論文を一文ごとに読み上げ始めると
正確に中国語に翻訳してくれた孫逢明さんが
同時通訳として中国語を読み上げてくれる。
この厳密な通訳は内容や文章のリズムも伝えることが出来る
静かな波音のように中国の詩人たちに主旨が伝わることを願っ た

十七世紀の松尾芭蕉は八世紀の杜甫の詩を糧にして
「おくの細道」に分け入り、俳句の精神性を確立していった
中国の漢詩を抜きにして日本の詩歌は語ることは出来ない
日本人はそんな文字や稲作や仏教などの輸入して
自らの文化の基礎に据えてそれを豊かに発展していった
そんな文化の母である国へ
日本はなぜ戦争を仕掛けてしまったのだろうか
明治維新後の日本人が抱いたアジアの人びとに対する優越感こ
 そが
この青島を巻き込んで中国の民衆を苦しめてしまった
と青島の海を眺めながら痛切に感じながら
私が編集した『大空襲三一〇人詩集』の冒頭収録した中国の詩
 人たち
艾青、阿攏、郭沫若、戴望舒たちの空襲下の詩を紹介し
二度と日中が戦争をしてはならない思いを伝えた

中国の詩人たちは破壊されていった農村の痛みを綴った「郷土 詩」について
その論考や朗読やその解説が続いていった
最後の林莽さんの締め括りの言葉が終わった時に
館長の臧杰さんが突然立ち上がり
中国の詩人黄瀛の調査をされている鈴木さんにプレゼントがあ りますと
青島日本語中学の黄瀛の成績表と当時の校舎の写真をパネル手 渡してくれた
私はとても驚いて感謝の気持ちを伝えた
青島の海のような暖かさを中国の詩人たちに感じた



6 莫言の旧居

青島市から隣の高密市にあるノーベル賞作家の莫言の旧居に車 で向かうと
一時間ほどして旧居に近づくと一面に背の高い高粱畑が広がっ てきた
あの中に入ったら映画『紅いコーリャン』の主人公たちが
今も走り回り日本軍の「鬼子」と戦うために潜んでいるかも知 れない
小説の本当の主人公は高粱畑の広がる中国の大地だったろうか
収穫された高粱は黄色い道となって畑の脇に続いていた
これは原作『紅い高粱』の莫言の旧居に向かうための何かの演 出なのか
農民たちはその高粱を軽トラックに山積みしていく
背の高い高粱畑の中に道があり町に続いていた
中国人の食卓を飾る高粱料理や白酒を生み出す
華中の果てしない高粱ロードの中をひたすら走っていく
「鬼子」の末裔である私は兵士として華南に派遣された若い父 のことを想起した
戦争のことを父は少しも語らず晩酌をして
いつも一人寂しく軍歌を歌っていた
父が悼んでいたのは亡くなった戦友だったろうか
はたして殺された中国の人びとも含まれていたろうか

家は「莫言旧居」と刻まれた土間に小さな竈と石臼がある
数部屋だけの質素な土塀作りの平屋だった
調度品の中には小さな円卓やラジオが一台置いてあった
給与の数倍をはたいて購入したラジオを聞いていたそうだ
さわさわと高粱畑を渡る風の音や
ラジオから流れる世界の音に耳を澄ませ
質素な机の上で祖父母や父の数奇な運命や「鬼子」との闘い
それらを包み込んだ幻視的な物語を紡いでいったのか
庭で秋空を見上げると柿の木が実を付けていた
莫言さんは秋になるとこの柿の実を食べていたのだろうか

外に出ると莫言さんの小説や土産物が売られている
本当はここで販売してはいけないそうだ
だが莫言さんに関係する村人たちがするのは黙認している
チャイナドレスの似合う女優のような詩人の盧戎さんが
「福」の漢字を切り絵にした『中國剪紙』を私たち三人にプレ ゼントしてくれた
紅く縁取った「福」の中には十二支の動物の切り絵がガラスの 額に納められている
鼠、牛、虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、猪が
楽し気に色鮮やかに描かれ切り抜かれている
「福」とは十二の生き物たちとその干支に生まれた人間たちが
この世に共存していくことであると語っているようだ
盧戎さんは私たちの幸せを願って手渡してくれた


7 青島の牽牛花

帰国の朝は小雨が降っていた
傘をさして青島の浜辺を歩いていると
堤防の下に赤い花が群れ咲いていた
その花を孫逢明さんの教え子で通訳の学生に尋ねると
知りませんと恥ずかしそうに言い
すぐに若者らしくスマホで調べて牽牛花らしいと教えてくれた
牽牛花とは日本語では朝顔だと分かった
遣唐使が日本に薬草として伝えたらしい
七夕の頃から咲くので中国では牽牛花と言われてきた
朝に咲き縁起がいいので日本で朝顔と名付けられたのだろう
日本の朝顔は暮らしに根付いて多様な品種に発展した
帰国の朝に朝顔の原種に出会えて不思議な巡り合わせだった

林莽さんと盧戎さんは磯でカニを見つけて手渡してくれた
蟹は私の手の中で暴れてまた磯に戻っていった
私たちは到着日に来たカフェを探したが休みで
遊歩道に沿ってカフェを探した
小雨の中でも「暖男」と花嫁の撮影は続いていた
レストラン風の二階建てのカフェに入った
林莽さんは絵を、高建剛さんは版画をスマホで見せてくれた
「林莽さんや高さんの絵や版画にはポエジーの血が流れていま すね」と
二階の窓越しに青島の海を見ながら作品の感想を伝えた
帰国の時間がやってきた
私たちは林莽さん、高建剛さん、盧戎さん、
北野さん、藍野さんたちと別れを惜しみ
再会を願って空港に向かった
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  1. 2016/11/30(水) 17:28:54|
  2. 詩篇
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詩誌コールサック84号

福島の祈り ―原発再稼働の近未来      鈴木 比佐雄

父や母の通った豊間中学校の体育館が
3・11の津波でぶち抜かれて
残されたシャッターが海風に
ひらひらと揺れていたのを見た時に
いわきの薄磯海岸で何が起きたのか
分からずに夢の中にいるようだった
あの時に中学生たちはどのように逃げたか

ひと月後に立ち寄った蒲鉾工場や海の家の町は
思い出を剥ぎ取られた木片と鉄片の廃墟だった
バス通りに沿った家々は全て破壊されて
水の銃弾が薄磯町をなぎ倒しいった
その校舎や家々が壊されていく破壊音が
胸を掻き毟り今も消えることはない
故郷が目前で崩れていく擦過音だった

あの日から五年近くが経ち更地になった町は
復興することもなく空地のままだろうか
海の神に連れさられた母の遠縁の叔父夫婦から便りはなく
山へ逃げて助かった人びとは
少し高い場所に暮らし始めているのだろうか
水平線と共に暮らす人びとは
きっと水平線を恨み続けることは出来ないだろう

海の神は次の津波の準備をしているかも知れない
私の先祖は松島で船大工をしていたそうだ
母の実家を引き継いだ従兄弟から町での屋号は
〝でえく〟(大工)と言われていると聞いた
私の先祖は太平洋の黒潮に乗って北上し
福島の浜辺に住みつき船大工をして漁師を助けた
鈴木という苗字は稲作を広めた人びとだ
思えば母方の祖母は亡くなる直前まで稲作の心配をしていた
自分の命よりもその年の米の出来を気にしていた

福島に黒ダイヤと言われた石炭が産出し
祖父と父は石炭を商うために故郷を捨てて東京に住みついた
祖父も父も戦前・戦後の下町のエネルギーを支えたが
昭和三十年代に石炭屋は役目を終え店は潰れた
そんな斜陽産業の息子だった私は石炭風呂をたてながら
黒ダイヤの燃える炎が静かに消えていく光景を見ていた
残照は美しく心に残り夜空の星の輝きと重なっていった

石炭産業も衰退した過疎の浜通りに目を付けた東電は
双葉郡の払い下げられた軍用飛行場後に目を付けて
「クリーンで絶対に安全な福島原発」を
一九七一年に稼働させた
母の伯父夫婦が来年に福島原発が稼働することへの
不安な思いを話していたことを今も思い出す
すると私は激しい怒りのようなものが溢れてくる
福島・東北の浜通りは、津波・地震などの受難の場所だ
そんな所に未完成の技術の危険物を稼働させてしまった
誰も事故の責任を誰も取ることがない恐るべき無責任さに
現代の科学技術は人間や地球を破壊しても構わないのだ
避難している人びとを犠牲して東電は黒字を確保している

 半径三〇kmゾーンといえば
 東京電力福島原子力発電所を中心に据えると
 双葉町 大熊町 富岡町
 楢葉町 浪江町 広野町
 川内村 都路村 葛尾村
 小高町 いわき市北部
 こちらもあわせて約十五万人
 私たちが消えるべき先はどこか
 私たちはどこに姿を消せばいいのか
   (若松丈太郎「神隠しされた街」より)

一九九三年にチェルノブイリへの旅の後で書かれた詩篇は
今もその予言性を語り続けている。
二〇一五年に鹿児島・九電川内原発が再稼働された
その他の原発も稼働させるのだろう
福島の祈りを無視すれば
近未来のいつの日か
海の神や大地の神によって
「私たちはどこに姿を消せばいいのか」
と突き付けられる日が必ず来る



  1. 2015/12/02(水) 18:25:38|
  2. 詩篇
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コールサック80号掲載詩

柿狩りと栃の実       鈴木 比佐雄
 

 1
小さな庭には自然に生えた柿の木があり
春には柿若葉の緑があたりを新鮮にさせ
秋には渋い柿の実をつける
それでも小鳥たちが訪れて餌にしている
柿色は心に沁みてくる懐かしい色だ

食卓には親戚の田舎から送られた柿の実がある
果物ナイフを手に取り十字に切り裂き
4分の1の実の皮をむいていると
福田万里子さんの詩「柿若葉のころ」を思い出す
その詩の中で戦争末期に死んだ父が柿を手渡し
 柿もぐと樹にのぼりたる日和なり
 はろばろとして背振山みゆ
という中島哀浪の短歌を教えてくれたことが記されている
柿の木を見ながら背振山から見上げたことが
小さかった福田さんの父との最良の思い出だった

分からない野草があると福田さんに訊ねた
いつも丁寧に調べてくれ野草の命を手渡されるのだ
福田さんのマンションの花壇には
沢山の野草などの鉢植えがあり




スケッチした椿の絵が送られてきた
福田さんの命の時間が蕊の黄と花の赤と緑葉に残された
その椿の絵が『福田万里子全詩集』を飾っている
柿若葉色と渋柿色の両方を兼ね備えていた人を偲んでいる

 2
子どもたちが小さかった頃
春はキイチゴ狩り 秋は柿狩り
と名付けて手賀沼周辺の野原や里山の雑木林に
キイチゴや柿を採りにいったものだ
モミジイチゴやカジイチゴやニガイチゴを集めて
そのまま食べたりキイチゴジャムを作ったりもした
キイチゴ狩りは里山の宅地化が進み
残り少なくなってしまったが
今も春になると残された自生する場所を訪れ
くすんだオレンジ色のモミジイチゴの実を口に含んで
その少し苦い味を楽しんでいる

柿狩りには苦い思い出がある
近くの野原にたわわに実った柿の木がある
誰も取らずに落ち始めもったいないと思い柿狩りをしていると
「柿どろぼうなんかして、この土地は誰々さんのもの」
と近くの老婆にひどい剣幕で叱られ子どもと逃げて帰った
その後は柿狩りをやめてしまった
それから老婆は数年後に亡くなった
あの正義感がその場所を通るとまだ残っている

 3
和歌山の詩人から秋の果物や木の実が会社に一箱届いた
スタッフが帰った後に蜜柑箱を開いてみた
小粒の蜜柑は小結のように手になじんだ
銀杏の実は酒のつまみになる
殻付きの栃の実は縄文人が水で渋抜きをして
砕いて焼いてクッキーにして食べたのだろうか
和歌山の詩人は栃の実をなぜ送ってきたのか

「コールサック」(石炭袋)のバックナンバーや刊行書籍を並 べている
会社の本棚の一番目立つ場所を空けてみたくなった
まず賢治の銅像のペン立てを中央に置き
京都の詩人からもらった大きなどんぐりのオブジェ
岡山で求めた素焼きの太った山猫
そして栃の実などを周りに配した
すると賢治の「どんぐりと山猫」の世界が現われてきた
賢治の「石炭袋」の世界は白鳥座の近くにあるのではなく
本棚の片隅にも出現しているのだ
和歌山の蜜柑は甘酸っぱく
いつのまにか晩秋の深夜に縄文の風が吹いてきた


  1. 2014/12/01(月) 13:10:12|
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細胞と遺伝子の殺人者   ―北柏ふるさと公園にて

細胞と遺伝子の殺人者
  ―北柏ふるさと公園にて  鈴木 比佐雄



 1
沼の水平線に朝日が浮かび
その光が水面をわたって野原に届く
クローバーの夜露の電球に
いっせいにスイッチが入る
電球は眠りから覚めて
太陽の子を孕んだ朝露の白色電球になる

 2
沼のほとりの野原では
紫花のホトケノザの露
白花のナズナの露
桃色花のヒメオドリコソウの露
黄花タンポポの葉の露
白花タンポポの葉の露
紅紫色のカラスノエンドウの露
小さなツリー状の草草の露が
いっせいに白色電球を灯される
野原は白色光のジュウタンになる
野原の周りの樹木たちも葉にも
あまたの露が乗り光り輝く
そんな朝露の光に濁りはあるだろうか
 3
かつてこの公園内にあるジャブジャブ池で
子どもたちに水着を着せて遊ばせた
いまも夏の光の中で子どもたちの歓声が響いてくる
水辺で子どもたちが掛け合う水しぶきが
むすうの虹になって目の前に甦ってくる
むすうの朝露の中に反射してくる

 4
朝陽が家の屋根にも届く
太陽光発電が開始されて
炊飯器にスイッチを入れて
白米が炊かれているだろう
人は自分に必要な分だけ発電して
その恵みを感謝すべきだろう

 5
三年前の三月にこの沼とこの公園内の野原にも
二〇〇㎞離れた核発電所からセシウム混じりの雨が降った
この公園にもセシウムが降りそそいだ
二〇一二年九月になっても植え込みから
1万5292ベクレルが検出された
その年の一二月にようやく除染が実施された
人は在り得ない事実を突き付けられる時に
ようやく現実を変えていく存在なのだろうか
子どもたちは一年半もの間にどれだけ被曝したのだろうか

 6
沼の留鳥になった白鳥親子、シラサギ親子たちは
沼の水草や小魚などを食べて生きている
食べたベクレル数だけ細胞が壊されている
二〇〇㎞先の柏に放射性物質が
風雨と共に降りそそいだのは必然性がある
核発電所近くを通る国道六号線や常磐線を上っていくと
柏に到着することになっていたのだろう
空飛ぶ風雲雷神も風の又三郎も被曝させてしまったのだろう

 7
四次元の視線を持ち
みんなの本当の幸せを願った賢治なら
作業員を被曝させてしまう不幸な核発電を
子どもたちの細胞を破壊してしまう核発電を
稲作も畑作もできなくさせる核発電を
鳥も昆虫も小動物も魚も木々も野草の
遺伝子を破壊してしまう核発電を
けっして認めないだろう

 8
故郷を破壊されて帰還できない人びと
放射能が高い場所でも暮らす他ない人びと
核発電事故で運命を変えられてしまった人びと
そんな人びとに朝露のエネルギーが届くことを願う
核発電を再稼働させて破滅的な未来を引き起こす人びとは
子どもたちの細胞と遺伝子を破壊する殺人者であり
核発電の近くの人びとの人権と
生存権を否定する反民主主義者だ
あまたの活断層がいまも動き出そうとしている日本列島で
最善のリスク管理は核発電を再稼働させないこと
朝露のエネルギーで暮らすこと


  1. 2014/05/02(金) 16:42:20|
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【詩誌「コールサック73号」発表詩2篇】

仁愛の家に暮らす人 
クアンナム省のフー・バン・クォン氏へ
              鈴木 比佐雄


バスを降りて
枯葉剤被害者の青年の家に向かう
田の畦道の脇にはオジギソウの赤い花が咲き
手を触れると葉が次々に閉じていく
こんな繊細な自然の世界にも
三十七年前には戦場として枯葉剤が撒かれていた

生後三歳か四歳のクォン氏の柔らかな細胞は
兵士だった父と母の傷ついた遺伝子と
クワンナム省の山河や田畑に
降り注がれたダイオキシンから傷つき
彼の足腰をひどくゆがませてしまった

彼は私たち十二名の一行を笑顔で迎えてくれた
彼の新居に私たちはささやかなカンパをしただけなのに
家のプレートには私たちの団体名を記して「仁愛の家」と記されてあった
平屋建ての古い家を壊して
赤煉瓦を積み上げて作られた二階建ての家を作っている
玄関ドアと窓ははめられていない
残りの資金を稼ぎながら完成させたいと
にこやかに答えてくれた
彼はハノイで衣料品のサンプル品を作るミシン職人だった
作品を見せてほしいと言うと柄物のワイシャツを
不自由な足腰を震わせながら持ってきてくれた
仕立ての良いお洒落着のようなシャツだった
クォンさんはプライドを持って生きていて
私たちはそのシャツを回しながら皆で褒めたたえた

雨期にはこの地方は洪水がやってきて平屋建てだと
水につかってしまうらしい
けれどももう心配ないと
クォンさんは希望に満ちた顔で語ってくれた
傍らには独身の姉が寄り添っている
父母亡き後に田で米を作りながら二人の暮らしを支えている
小柄で控えめで弟のために生きて来た信念を感じさせてくれた
私たちは言い知れぬ感動を与えられて家を離れた

手を振る彼らと別れて畦道を歩きながら
私の暮らす柏で今ごろ稲が伸びている田の畦道を想起し
除草剤が撒かれて野草が枯れ
蛙の卵がオタマジャクシになり田の水を泳ぎ始めるころ
いっせいに姿を消してしまう不思議な光景が浮かんできた
除草剤は命を除く「除生剤」なのだろう
クォンさんと姉の生きる意志は
ベトナムの命を根絶やしにしようとした国の悪意を超えて
オジギソウのように謙虚に慎ましく逞しくもあった




ダイサギの家    
二〇一二年八月十九日 手賀沼に注ぐ大堀川にて


残暑の続く真昼 斜面を下りていくと
ヤブガラシの花が色あせ
菊芋の黄色い花が咲き出している
じきに手賀沼に注いでいる大堀川が見えてくる
その北柏橋附近の川底には
手賀沼の中で最も放射能汚染がひどい
一㎏当たり九七〇〇ベクレルもの放射線が検出されていると
東日本大震災から一年後の三月の新聞が伝えていた
八〇〇〇ベクレル以上は埋め立て処理できない
閉鎖系湖沼近くでは簡単に川底のベクレルは減らない
そんなことを思い出し二〇〇㎞離れていても
このようなホットスポットを作り出した怒りを嚙み締め
週末には必ずこの付近を散歩する
いつものように大堀川が手賀沼に合流する近くまで来ると
口ばしが黄色い白鷺が水面を流れるように進んでいた
その白く長い首が美しくて見とれてしまった
大きな白鷺なのできっとダイサギだと思われた
対岸の浅瀬に大きな数本の樹木がそびえていて
その木の下の陸地にダイサギはすべるように入っていった
私は手賀沼の周りを散歩するのを止めて
川の対岸に渡りダイサギの塒を見に行った
近くまで寄っていくと木々と草の間から
番いのダイサギの他に灰色のダイサギの子どもが見えた
この場所はダイサギ三羽のマイホームだった
一秒間に九七〇〇ベクレルの放射線が発せられて
ダイサギの親子に何ミリシーベルトの放射線物質が届くのだろうか
水面下には源五郎鮒の黒い影が動き水しぶきを上げ
ナタゴやモツゴのような小魚がうようよ泳いでいる
それらの魚を食べたダイサギ親子は
今までとんでもない内部被曝を受けているだろう
福島第一原発から二〇〇㎞離れた場所でさえ
風に乗ってこのように放射性物質が拡散してしまい
沼底も水辺の生きものたちを放射能汚染させてしまった
これは誰も決して責任を負わない時間をかけた完全犯罪ではないか
私の近くを若夫婦が子どもの手を引いて歩いていった
この場所で本当に子育てをしていいのか
柏は年間五ミリシーベルトの放射線量があるだろうと
気鋭の環境学者が語っていた
ダイサギの親子を見ているうちに
柏の街で出会う子ども連れの親子が
ダイサギの親子の姿と重なってきた


  1. 2012/09/10(月) 15:51:44|
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