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島村洋二郎詩画集『無限に悲しく、無限に美しく』講演録

「無限の悲しみ」を通して「青い光」に気付かせる人―島村洋二郎詩画集『無限に悲しく、無限に美しく』に寄せて―
 「ハックルベリーブックスのアート茶話会」
 二月十二日の講演録(柏市にて)
鈴木 比佐雄

 コールサック社代表で編集者であり、また詩や評論を書いてきた鈴木比佐雄と申します。私はこの柏市内に住まいがあり、三十年前の一九八七年に「コールサック」(石炭袋)という詩の雑誌を創刊しました。当初は年に三回でしたが、十一年前からは株式会社にして東京の板橋で出版社を始めました。その後に「コールサック」は季刊文芸誌になり、詩集・歌集・句集や評論集などを中心に、年間に数多くの書籍を刊行しております。三十年間も「コールサック」(石炭袋)を継続できたのは、宮沢賢治さんのおかげであり、賢治さんの精神を共有する多くの支援者のおかげだと考えています。この「石炭袋」は賢治さんの童話『銀河鉄道の夜』の九章に出てくる白鳥座の向こうにある「石炭袋」という「暗黒星雲」や「ブラックホール」のことです。賢治さんは「異次元の入り口」であり、例えばカムパネルラの死んだ母親が住んでいる天国の入り口などのように、想像力を膨らませていました。私は賢治さんのような他者の幸せを願って詩や童話を書いた詩人や作家を集めたいと願って、「石炭袋」を英語で「コールサック」と言いますので、「コールサック」(石炭袋)と名付けました。今は八十九号を製作しておりますが、九十名から百名位の詩、俳句、短歌、小説、評論の寄稿がある総合文芸誌になっております。
 賢治さんは詩集『春と修羅』の序の冒頭の三行で「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です」と記しています。私と言う存在の現われは「青い照明」であるという指摘は、本日お話させて頂く島村洋二郎という画家で詩人を紹介する際に、重要な手掛かりになると思います。賢治さんは私たち一人ひとりが内側から命を燃やす「青い照明」を発している存在であると感じていたのです。
 島村洋二郎は「青い光の画家」と言われて「青い瞳」を持った人物画を亡くなる一九五三年の数年前から最後の命を振り絞り数多く描いて残しました。賢治も肺を悪くして三十七歳前後で亡くなりましたが、洋二郎もちょうど同じ年に肺の病で亡くなりました。二人とも激しく「青い光」を燃焼させて自分の生を生き切ったのだと思われます。
 島村洋二郎の画集について姪の島村直子さんから相談を受けたのは昨年の夏でした。直子さんからの要望は、コールサック社が以前に刊行した赤田秀子写真集『イーハトーブ・ガーデン―宮沢賢治が愛した樹木や草花』のような、B5判・横使い・ソフトカバーのシンプルな作りで、発見された絵画とスケッチもすべて網羅し出来れば回顧展などで洋二郎の絵に感動し寄せてくれた言葉を絵に添えたいこと、そして洋二郎を知らない多くの人びとに見てもらいたいので、出来るだけ求めやすい価格にして欲しいとの三点でした。また編集は私に任せるので絵画リストだけでなく、今までの洋二郎に触れた多くの人たちの文章や、残されたノート類や手作り詩集などの全資料を貸してくれるとのことでした。直子さんは、賢治さんの精神を共有する芸術家を世に広めようとしているコールサック社に、洋二郎の全作品を後世に残して欲しいと決断されたのだと思います。私には生誕百年を迎えた洋二郎への直子さんの思いが痛いほど分かりました。
 私が全資料に目を通した後に感じたことは、洋二郎の絵画などを含めた資料がここまで集まるまでに、直子さんが回顧展を繰り返しながら何十年もの時間をかけてよくぞ伯父のために作品や資料を集めてきたという思いでした。と同時にこれらの資料は集めたというよりも、洋二郎の友人・知人たちが長年所有していた絵画や洋二郎の絵や生き方に心を打たれた人たち残した言葉が自然に直子さんの元に集まり戻ってきたようにも感じられました。それらの人びとにも感謝したいと思いました。また特に資料の中の洋二郎の才能を評価しその「精神の純粋性」を語り継いだ宇佐見英治氏、矢内原伊作氏、宗左近氏などの実像を知っている友人・知人たちの厚い友情の言葉は感銘深いものがありました。その中の矢内原伊作氏は、矢内原忠雄の息子でジャコメッテイの彫刻のモデルにもなった哲学者で、私の法政大学時代の卒論指導の教授であり恩師です。哲学史やサルトルのゼミでもお世話になりました。また宗左近氏も法政大学の教授で、戦後詩の名作「炎える母」を書いた詩人で縄文文化の研究者であり、晩年に宗先生が主宰した市川縄文塾で二ヶ月に一度はお会いして、親しくさせて頂いておりました。日本の文化の基層を縄文文化を通して感じ考えて詩作を実践しておりました。そんな亡くなった二人の恩師の友である洋二郎の書籍を出すことは、天上から見詰められているような緊張感を抱きつつ、編集作業に取り掛かりました。
資料の中で初めに注目したのは、五線譜ノートに綴られた手作り詩集があったことです。それを読んで、私は画集というよりも詩画集が相応しいのではないかと思いました。そして洋二郎の書き残した言葉の中から「無限に悲しく、無限に美しく」を選び、タイトルに最もふさわしいと考えました。そして冒頭には次の詩「夕暮」を置きたいと思いました。

 夕暮

遠くのどこかで
カナカナ蟬が鳴いてゐる

終日わたしはあなたを待ってゐた

白いはなばなが夕暮にながれ
淋しいあなたの眸を浮かべる――

それはそうではないのだが
それはそうではないのだが

やっぱりわたしはあなたを待ってゐる
                (「五線譜の詩集」より)

 この詩を読んだ時に、洋二郎は本質的に夕暮れの詩人だと感じました。夏の夕暮れに蜩がゆったりしたリズムで鳴き始める。空は夕陽が沈み赤や青の入り混じた絵を地平線の上の空に描きながら、夕闇に向かってゆく。その時に「青い光」を感じて、自分の元を立ち去った愛する人が、今にも戻ってくるような思いに駆られて、「淋しいあなたの眸」にきっと「青い光」を投影させてしまったのだと思われます。この詩がいつ書かれたかわかりませんが、洋二郎はどんなことがあっても「わたしはあなたを待ってゐる」と自分自身に語り掛けます。「淋しいあなたの眸」を思い描きながら、「待つ」ことが洋二郎の宿命だったように私には感じられました。
 洋二郎の「青の光」をどのように受け止めるかが、洋二郎の絵を理解する鍵だと思います。その意味で洋二郎の絵を大きく分ける際に、瞳の色で分けることが読者に理解されやすいのではないかと思い、Ⅰ章を「黒い瞳の人物画」にし、Ⅱ章を「青い瞳の人物画」にしました。Ⅲ章はその他の「風景、静物、人形など」にし、Ⅳ章はノート類に描かれていた「スケッチ(えんぴつ)」にしました。このスケッチを見れば洋二郎の画家としての実力が分かると思います。各章の前には洋二郎の詩と宇佐見英治さん達の洋二郎論のエッセンスを載せました。どうして洋二郎は初期の戦前には黒い瞳を描いていたが、戦後になって青い瞳になっていくのかを、詩画集を手に取った人たちが自分で感じて、答えを探して欲しいと願ったのです。その時には洋二郎自身の言葉はもちろんですが、先に紹介した三名の親友たちの解釈は、どれも参考になります。けれどもご自分でこの詩画集と対話することによって、自らの「青い光」に気付くことが洋二郎の芸術家としての真の願いだったと私には思われてくるのです。
 洋二郎は「青い光。一つの不思議な香いを放つ青い光。無限に悲しく澄み切ってゆく、冷たく燃えひろがってゆく青い光。あ丶私の総ての狂気が、その中に浮かべることによって、正しく浄められる一つの青い光」と語っています。
 宇佐見英治氏は「生命を賭した精神の純粋性」や「歳月といえども消えない光」と言い、矢内原伊作先生は「精神の青い光をもやし続けた情熱が塗りこめられていて、その祈りのようなものが観る者の心を打つのである」と言い、宗左近先生は「官能と精神(即ち魂)の、焰と矢(即ち祈り)が死にいどむ文字通りの生命がけの闘い」であり、「島村は何よりも、魂の作家です」と言っています。この三人は多くの人びとが高い評価をする優れた仕事をした研究者、哲学者、詩人たちです。その三人の心に「青い光」を生涯にわたって追想させてきっと霊感を与えた画家が洋二郎だったに違いありません。
 最後に詩「夕べの唄」を朗読させて頂き、洋二郎の紹介を終えたいと思います。この詩は詩画集の24頁に収録されている「黒いベールの女」のモチーフになっていると思われます。この会場にも飾ってありますので、それを見ながらお聞きになって下さい。

 夕べの唄

すんなりとした髪長の少女/いつも青い光の中に佇むひとよ//もの悲しい夕べの中で/あなたのいのちがふるえている//あなたのからだから/あなたのおもひから//やさしく/漂いながれる/この曲べと香ひ//あなたの不思議なまなざしが/しのび泣く夕べの中にひらめく//しめやかにしみ入るように/この悲しい男のこころを//あなたは掠へてしまう/掠へてしまふ//あヽいつそ 鉄血の苦しい決意を捨て去り/この耐えがたく美しい甘い空気の中に/何もかもわたしのすべてを/ひたしてしまいたい//傷つき病んだ一ひらの花びらを/ひっしと噛みしめながら//悲しい悲しいひたぶるな/祈りのおもいで//浄らかな御像のように/わたしはあなたを讃えていたい//すんなりとした髪長のひとよ/いつも青い光の中に佇むひとよ

 島村直子さんがこの詩画集をアメリカに養子にやられて行方知らずの洋二郎の次男・鉄さんに届けられることを願って、私の話を終えたいと思います。ご清聴ありがとうございました。
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  1. 2017/03/10(金) 18:32:02|
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メールマガジン編集者のエッセイ2017年1月

鈴木比佐雄


冬の陽射しも少し温かになり、道端の日溜まりの緑に眼をやると、
白いタネツケバナや紫のホトケノザの花々が萌黄色の葉から顔を見せている。
春はもうすぐに訪れそうだが、世界はテロや戦争やナショナリズムの
高揚によって厳冬に舞い戻ってしまうような寒さを感じさせる。
しかしそれだけでなく身近なところでは心身が凍り付くような
出来事が次々に起こっている。東電福島第一原発事故で避難した
子供たちを虐めてお金を恐喝した横浜の小学校の生徒の事件の根本原因は、
原発を引き起こしたものや原発の発電を享受した者たちが法的にも
道義的にも痛みを負わないことに起因しているからだろう。
子供の事件の背景には親たちの言動や社会の風潮の矛盾が色濃く
反映しているのであり、原発事故の責任を福島の子供たちに
負わせて恥じない日本社会は、他者の痛みに対して鈍感どころか、
他者の痛みを弄ぶような風潮を抱え込んでしまっているように思われる。

昨年の11月23日には、自宅の柏市から福島県南相馬市の
若松丈太郎さんの家に車で向かった。若松さんと新しい評論集などの
打合せのためだが、半年ぶりに福島の浜通りをこの目で見たいと願ったからだ。
常磐高速道は全線開通しているが、南相馬市手前のメルトダウンした
第一原発のある大熊町のあるインターチェンジで降りる。
相変わらず桜並木で有名だった町は警備員たちが不審者をチェックしていた。
国道六号線でその後の大熊町・双葉町・浪江町・南相馬市の小高区などの
若松さんの住む原町区に続く光景を見ていくと、震災・原発事故から
六年近くが経ち、沿道の人のいない店や家は何もなかったかのように
必死にその存在感を晒していた。よく見ると少し朽ち始めているのが分かる。
朽ち始めていない家は、家主が手入れに来ているのかも知れない。
常磐線の線路のある四キロ先まで津波はやってきたのだった。
田畑には汚染された土壌などを入れた黒いフレコンバッグが山積みされている。
この気の遠くなるような膨大なフレコンバッグを第一原発立地町である
大熊町や双葉町だけでなく、浜通りは十字架のように背負って
いかなくてはならないのか。浪江町に暮らしていた詩人の根本昌幸さんと
みうらひろこさん夫婦が、先祖伝来の地に戻ることはいつになったら可能だろうか。
その日が来ることを心から願いながら車を走らせた。
若松さんとは、南相馬市出身で誰もしなかった個性的な研究や業績を
残した人物のエッセイ集の打合せをした。その中にはかつての小高町出身で
戦後すぐに「憲法研究会」を立ち上げて自由民権運動の頃からの
私擬憲法や世界の憲法を参考にして「憲法草案要綱」をまとめた
憲法学者鈴木安蔵がいた。そんなGHQにも参考にされ日本国憲法にも
影響を与えた人物が実は、戦前は治安維持法で獄中にもつながれていて
短歌も書いていた。その原稿を関係者から入手していると若松さんは語った。
私はぜひその短歌についても書いて欲しいとお願いしたところ、
それでは書いてみようかと快諾してくれた。いま日本国憲法は立憲主義を
否定する総理大臣や閣僚や官僚たちからその理念を否定されようとしている。
憲法の戦争を放棄する平和主義も、基本的人権も、生存権も、男女同権、
表現の自由なども軽視されていつの間にかなし崩しにされようとしている。
昨年の12月初めよりコールサック社は『日本国憲法の理念を語り継ぐ詩集』を
公募開始した。締め切りは3月10日ですので、ぜひ参加して欲しいと願っています。
憲法の精神をしなやかな言葉でお書き下されば幸いです。

1月には堀田京子詩集『畦道の詩(うた)』、
勝嶋啓太詩集『今夜はいつもより星が多いみたいだ』、
福司満秋田白神方言詩集『友(やづ)ぁ何処(ど)サ行(え)った』、
キャロリン・メアリー・クリーフェルド日英詩画集『神様がくれたキス』が刊行された。
どの本にも製作過程で素敵なドラマがあった。
ぜひ多くの人びとにお読み頂ければ幸いです。

それから若松さんと別れた後に、私は父母の出身地のいわき市薄磯に向かった。
その後に次のような詩を書いた。お読み下されば幸いです。


薄磯の疼(うず)きとドングリ林


ザーザーザーザーと昼下がりの海が鳴り響く
塩屋埼灯台の下に広がる薄磯の砂浜で少年の私は
半世紀前の夏休みに背丈を越える荒波にもまれていた
夕暮れ近くになると腰の曲がった祖母が
防潮堤から手を振って夕食を教えてくれた
卓袱台には鰹の刺身が大皿に盛られていた
働き者で身体が衰えても田植えに行くと聞かなかった
防潮堤の後ろに先祖の墓地や玉蜀黍(トウモロコシ)畑が広がっていた
それから祖母が亡くなりその墓地に埋葬されたと聞いた
今も祖母の葬儀に行けなかったことが疼いている
コケコッコーと鶏が日の出の海風を切り裂いていった
従兄と豚の餌のためリヤカーを引いて近所を回った
伯父の行商の軽トラックに乗って山道を越えて
豊間や江名や沼ノ内などに魚売りの手伝いをした
帰りに薄磯の砂浜に降りて伯父と駆けっこをした
それから多くの時間が流れ伯父の葬儀の時に
お清めの場所になったのは墓地跡の公民館だった
墓地は山に移転されたと従姉妹から聞かされた
二〇一六年十一月二十三日の薄磯の砂浜で
ザーザーザーザーと日没後の黒い波音が鳴り響く
二〇一一年四月十日には胸張り裂ける波音を聞いていた
母の実家や公民館や豊間中学の体育館が破壊された疼き
いま以前よりも二m高い七・二mの防潮堤が建設中で
町の跡に幅五十m高さ十・二mの防災緑地の土が運ばれ
里山からのドングリを植えるプロジェクトが進行中だ
親族を含め百二十名以上が流されたこの町がいつの日か
ドングリ林と先祖の眠る墓地跡から守られることを願う
流された命よ魂よ 還っておいで いつでもいいから
ザーザーザーザーと朝陽に輝く白波が打ち寄せる
      (福島民報 2017年元旦掲載)


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  1. 2017/02/03(金) 10:36:00|
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コールサック88号

編集後記           鈴木 比佐雄

 今年の八月下旬から九月下旬頃まで残暑というか真夏が終わらないで秋が訪れない季節だった。さぞかし彼岸花も秋桜などの秋の花々も戸惑っただろう。初夏から夏に発行した三冊の詩選集『海の詩集』は「週刊朝日」や朝日新聞電子版など、『非戦を貫く三〇〇人詩集』は「東京新聞」や複数の地方紙などに掲載された。そして『少年少女に希望を届ける詩集』は朝日新聞夕刊や地方では翌日の朝刊に紹介され、また九月三日「おはよう日本 NHKニュース関東甲信越」で四分間にわたり紹介された。その紹介ニュースは十月四日夜の六時台に関東エリアで再放送された。これらの詩選集の熱気も収まることなく継続的に今も紹介され求められている。詩人たちは世界の苦悩を抱えた共通の問題を直視して様々な観点から詩作をしている。そのような詩を集めた詩選集は、日頃は詩を読まない人びとにも詩を届けることが出来る。おかげさまで『少年少女に希望を届ける詩集』三版目を刊行することになった。学校現場でこの詩集が少しずつ活用されてきていることも伝わってきている。この三冊の趣旨に賛同してご参加下さった皆様にはこの場を借りて、心よりお礼を申し上げたい。皆様の詩篇は詩人たちの外に旅立って、多くの大人や青年や少年少女たちを励ましていると感じている。
 十月二十九日は『海の詩集』『少年少女に希望を届ける詩集』『非戦を貫く三〇〇人詩集』の合同出版記念会を赤羽で開催した。九州から門田照子さん、北海道から若宮明彦さん、福島から二階堂晃子さんなど全国から多くの詩人たちが参加してくれて、三冊の意義を語り合うことが出来た。
 今年から福島県と福島民報社が行っている「福島県文学賞」の詩部門の審査委員となった。今年で69回目であり、初めの頃は草野心平さんが、その後は若松丈太郎さんや長田弘さんなどが務めていた歴史ある福島の文学者たちを育ててきた賞だ。小説、エッセイ・ノンフィクション、詩、俳句、短歌の五つの部門に分かれている。公募された詩や詩集での参加者は今回は四十五名ほどで、その名から正賞、準賞、奨励賞、青少年奨励賞の該当作品を選び出すことになる。詩部門の審査員は福島の詩人の齋藤貢さんと長久保鐘多さんと私の三人で、受賞候補の詩篇の選考理由を記した批評文を事前に事務局に提出しておき、審査会当日に臨むことになっている。十月上旬にあったこの審査会には、福島県知事や福島民報社社長も顔を出して各ジャンルの審査員たちに感謝の言葉を述べていたほど、福島県民の文学精神を育んできた大切な文化活動であることが理解できた。詩部門の審査結果を私が代表として記した選評は十月下旬に受賞者たちの言葉と共に大きく福島民報に掲載された。東電福島第一原発事故で計り知れない損害と命を削る苛酷な経験を負わされた地域の県民であるけれども、それに打ち負かされない精神性を私はこの文学賞の公募作品全体に感じることが出来た。正賞は三人が一致して推した安部一美詩集『夕暮れ時になると』(コールサック社)となった。この詩集について「故郷、家族、日常を見詰めて生きる意味を問い、他者の存在の魅力や歴史的な意味も踏まえて全体的な視野を持ち、この世界の深みを重層的に表現している。安部さんの詩的文体には真の優しさや人間賛歌が込められている。」と論じた。また青少年奨励賞を受賞した矢吹花野さんの連作詩「六色の虹と一面のあお」では〈震災体験を通して亡くなった「あなたの言葉」を決して「忘れるもんか」と心に刻んで自己の内的なリズムにしている〉と記し、十六歳の高校生で砲丸投げの選手でもある矢野さんが大切な死者と対話する詩的想像力で詩作を小学四年生から開始してきたことに驚かされた。震災・原発事故は少女の心に詩の種を植え付けてしまった。きっと矢野さんのような福島の少年少女がこれから新しい文学を生み出してくれる可能性を強く感じた。
 九月二十四日から二十七日の三日間、中国の青島市と中国の詩人の林莽さんや高建剛さんたちから、日中韓同人誌「モンスーン」の私と苗村吉昭さんと中村純さんは招待された。その青島での詩の研究会で発表した内容や中国の詩人たちの発言や初めて交流したことを「中国の詩人達の素顔に触れて」として私のエッセイや詩七篇を含めて特集にした。また冒頭のカラーの「詩人のギャラリー」では林莽さんの絵画や高建剛さんの版画とエッセイや詩を中国編として掲載させて頂いた。本文の特集では林莽さんや李占剛さんの詩も孫逢明さんや佐々木久春さんや平松辰雄さんなどの翻訳者のおかげで掲載することが出来た。また写真も中国の詩人たちのものを使用させて頂いた。ご支援に心より感謝致します。
 この秋には「COAL SACK銀河短歌叢書」シリーズを刊行することとした。一昨年歌集『レトロポリス』を刊行した原詩夏至さんの第二歌集『ワルキューレ』がシリーズのトップを飾ってくれた。原さんの最新作四〇〇首が収録されている。私も解説文を書かせて頂いた。私は宮沢賢治が石川啄木に憧れて短歌から出発したこともあり短歌を読むことも好きで、短歌のリズムが日本の詩の源流だと感じていて、そのリズムは日本語の宿命的なDNAだと考えている。短歌から生まれた俳句も含めて伝統的な定型詩であり一行詩の魅力は、その作品だけを切り離すのではなく、それらが数百首、数百句をまとめて読むことで、その作家がこの世界と関わる精神世界が立ち上がってくる思いがする。そんな歌人・俳人論を機会があれば書いていきたいと願っている。「銀河短歌叢書」シリーズの二番目は福田淑子歌集『ショパンの孤独』が印刷に回っており十一月下旬に刊行し、三番目の森水晶歌集『羽』も十二月上旬に続いて刊行予定だ。
 編集者の佐相憲一さんと相談して来年は『日本国憲法の理念を語り継ぐ詩集』を来年の憲法記念日七十周年の五月三日の奥付で四月上旬に刊行することを目標にして、公募を開始することにする。公募人数は二〇〇名で締め切りは三月十日必着とさせて頂きたい。今号に掲載し別紙で同封した公募趣意書にこの憲法は「明治初期の自由民権運動が生み出した五日市憲法草案などの多くの私擬憲法やカントの「永遠平和」などが、日本国憲法の源流となっている。そんな平和憲法の理念をしなやかな言葉と豊かな想像力で、ぜひ詩に書いて頂きたいと願っている。」と記した。ぜひご参加を頂ければ幸いです。
 今号に多くの作品や批評文やエッセイなどをご寄稿下さり感謝致します。次号も宜しくお願い致します。寒波が到来しますので、どうかお身体をご自愛下さい。

  1. 2016/11/30(水) 17:30:21|
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コールサック88号

青島に寄せる七篇      鈴木 比佐雄

1 青島の夕暮れ  

初めて見る黄海の青島の海の色は
薄い緑が溶け込んでいた
山東半島の入江の残照が海面を刷いていき
光の粒が一つ一つ海に消えていった
夕暮れのひとときを
若者たちが群れ集い
浜辺の遊歩道に面したカフェで海を見て
眼を輝かして笑い声を立てていた

さっき初めて青島空港で出会った
中国の詩人五名の林莽さん、高建剛さん、李占剛さん、
盧戎さん、沈胜哲さんと
日本の詩人三名の苗村吉昭、中村純、鈴木比佐雄が
浜辺のカフェに入ると奥の若者たちが席を空けてくれた
八人は名物の青島ビールやスイーツを頼み
緑色の小瓶のビールが運ばれてきた
底が鈍角に傾く不安定なグラスにビールが注がれ
乾杯が何度も繰り返された
暮れていく海辺の穏やかな光に包まれて
私たちはライチを摘まみにして
一九〇三年創業のラベルの付いた青島ビールの深い味わいに
不思議な酔いを感じてしまった
ロシアから旅順を奪ったように日本は英国と同盟し
一九一四年の青島の戦いによってドイツから青島を奪った
ドイツ人は青島ビールを残したが日本人は何を残したのか

一九二〇年代半ばに日中のハーフの詩人の黄瀛は
青島日本中学校にいて広東嶺にいた草野心平を呼び寄せて
私たちのように青島ビールを飲んで
「銅鑼」を構想し宮沢賢治を誘おうと話し合ったのだろうか
底が傾いた不安定なグラスに何杯もビールを注いで
日中の詩について語り合っていると
百年前の日中戦争の始まる前の異次元に迷い込んだように
青島の薄緑の海は私たちを包み込むように暮れていった



2 青島の夜のヨットハーバー

青島の港は未だ北京オリンピックのヨット競技場のようだった
巨大な五輪マークのオブジェは湾内にそのまま残っている
それから岸壁まで無数のヨットが整然と並んでいた
どんな人びとがこのヨットを使いこなすのか
休日には中国の企業の成功者たちが
オリンピック選手のように海へ繰り出すのだろうか

岸壁の遊歩道は青島の人びとの憩いの場所だ
普段着のままで恋人や夫婦や友達たちが
穏やかな顔で散歩している
李占剛さんが写真を頼むと誰も笑顔で快く引き受けてくれる
富山大学に留学経験があり社会学を教える李さんによると
就職、住宅、教育問題などで若い世代は生きていくのが大変だ という
けれども若者たちの表情には
異国の人に寄せる国を超えた優しさが感じられた

桟橋からの対岸は高層ビルのライトアップが続いている
青島が巨大なビジネス都市であることが分かる
その光の群が湾の海面に映り浮遊していた
若い女性が海外の懐かしい音楽を流し
小さなスタンドでCDを販売している
それを買う人びとが周りに群れている

この街はドイツと日本が奪い合い
かつては帝国主義列強に翻弄された地だが
今は中国奥地から物や人が集まり世界に船出する場所であり
その準備をしたり帰国後に疲れを癒す場所なのかも知れない
青島の港の夜は不夜城のように続いていた
その中の中華レストランに入り込み
私は生まれて初めて高粱で造られた白酒53°を口に含んだ
日本に何度もビジネスで来日した沈胜哲さんは
その酒を皿の上に注ぎ火をつけると白熱しながら燃え始めた
飲み込むと喉の奥は焼けていくようだった
中国の人びとの底知れぬエネルギーの源を感じた
青島の文芸誌を編集し版画家でもある高建剛さんは
青島の文学者の実情を静かに伝えてくれた



3 青島の朝の光

ホテルの窓辺から見える
早朝の磯に砕ける白い波
朝陽は太平湾の左側から昇っていく
薄緑の海に光の粉が走っていく

入江に浮かぶ小舟は何を釣っているのだろうか
海岸線に沿った四十kmの遊歩道に点在する黒松は
どれも枝を手足のように振り上げ踊っているようだ
遊歩道脇の公園の植え込みの中では
野犬たちが無防備に寝ていたし
野猫もたちもたくさん潜んでいた

青島の人びとは朝が早い
朝の海の光を受けながら
遊歩道の欄干に足を上げてストレッチをする人
苦し気にジョギングする人
深呼吸しながら歩く老夫婦たち
お婆さんと二人で自撮りする孫娘

早朝から車で乗り付けた新婚カップルが
ウエディングドレスとフォーマルウエアに着替えて
浜辺にカメラマンと一緒に降りて行く
朝の海の光をライトにして岩場で撮影が繰り広がれる
主役たちは青島の海を脇役にしてしまう
そんな祝福の朝の光を求めて
次々に新婚カップルが海辺に降りて行く
中国の若い男はフェミニストが多くなり
「暖男」と言われていると新聞で読んだ記憶がある
眼下の「暖男」たちは美しい新妻に合わせて
言われるままにポーズをとっている
青島の海は若者たちが憧れる暖かな海だった



4 青島市文学館の白壁  

青島文学館はそんなに大きな建物ではない
ビルの白い壁面に種まく人が朱色で描かれ
手を後ろに振った先に「青島文学館」と記されている
中に入り階段を上り始めると階段の白壁を有効に使い
青島の詩人や作家たちの残した文芸雑誌や書籍を飾っている
百数十年間の文芸雑誌や書籍が歴史的に配列されている
階段や部屋の白壁をうまく使用し
詩人や作家たちの歩みが顔写真入りで紹介されている
ドイツや日本の侵略の時代でも
文学活動の火は決して絶えなかったことが分かる
文芸雑誌の表紙や目次などを見ていると
粗末な用紙に刻まれた文字が
不屈の精神を刻んでいるかのようだ
人は文字を残す存在である
人びとは文芸雑誌で自由な精神をこの世に残す存在である
人びとはその文芸雑誌や書籍を集めて
後世のために文学館を作る存在なのだろう

一階は喫茶部門になっていてコーヒーを飲んでいると
館長の臧杰さんが顔を出したので質問をした
「一九二五年頃に青島日本語中学に在籍していた
中国と日本ののハーフの詩人黄瀛やその友人の草野心平を知っ ていますか」
臧杰さんは「知らない」と言いながら
すぐに黄瀛をスマホで調べ始める
「最近、中国で研究書が一冊出ていますね」と、
その本の画像や黄瀛の略歴なども見せてくれる
私も最近編集した佐藤竜一『黄瀛の生涯』をスマホで見せた
「その黄瀛の評伝を日本から贈呈します」と伝えると
臧杰さんも「黄瀛のことを調べてみます」と語っていた

いつかこの文学館で黄瀛の詩集『瑞枝』が飾られる日が来るだ ろうか
そんなことを思いながら館を後にした



5 青島の海の見える会議室

貨物船が薄い緑色の海を横切っていた
昼下がりの会議室に中国の詩人たち二十二名が集まり
私たち三人の日本の詩人たちを待っていた

今度の貨物船も昼の光の中をゆっくりと過ぎて行った
私の発表する小論文を一文ごとに読み上げ始めると
正確に中国語に翻訳してくれた孫逢明さんが
同時通訳として中国語を読み上げてくれる。
この厳密な通訳は内容や文章のリズムも伝えることが出来る
静かな波音のように中国の詩人たちに主旨が伝わることを願っ た

十七世紀の松尾芭蕉は八世紀の杜甫の詩を糧にして
「おくの細道」に分け入り、俳句の精神性を確立していった
中国の漢詩を抜きにして日本の詩歌は語ることは出来ない
日本人はそんな文字や稲作や仏教などの輸入して
自らの文化の基礎に据えてそれを豊かに発展していった
そんな文化の母である国へ
日本はなぜ戦争を仕掛けてしまったのだろうか
明治維新後の日本人が抱いたアジアの人びとに対する優越感こ
 そが
この青島を巻き込んで中国の民衆を苦しめてしまった
と青島の海を眺めながら痛切に感じながら
私が編集した『大空襲三一〇人詩集』の冒頭収録した中国の詩
 人たち
艾青、阿攏、郭沫若、戴望舒たちの空襲下の詩を紹介し
二度と日中が戦争をしてはならない思いを伝えた

中国の詩人たちは破壊されていった農村の痛みを綴った「郷土 詩」について
その論考や朗読やその解説が続いていった
最後の林莽さんの締め括りの言葉が終わった時に
館長の臧杰さんが突然立ち上がり
中国の詩人黄瀛の調査をされている鈴木さんにプレゼントがあ りますと
青島日本語中学の黄瀛の成績表と当時の校舎の写真をパネル手 渡してくれた
私はとても驚いて感謝の気持ちを伝えた
青島の海のような暖かさを中国の詩人たちに感じた



6 莫言の旧居

青島市から隣の高密市にあるノーベル賞作家の莫言の旧居に車 で向かうと
一時間ほどして旧居に近づくと一面に背の高い高粱畑が広がっ てきた
あの中に入ったら映画『紅いコーリャン』の主人公たちが
今も走り回り日本軍の「鬼子」と戦うために潜んでいるかも知 れない
小説の本当の主人公は高粱畑の広がる中国の大地だったろうか
収穫された高粱は黄色い道となって畑の脇に続いていた
これは原作『紅い高粱』の莫言の旧居に向かうための何かの演 出なのか
農民たちはその高粱を軽トラックに山積みしていく
背の高い高粱畑の中に道があり町に続いていた
中国人の食卓を飾る高粱料理や白酒を生み出す
華中の果てしない高粱ロードの中をひたすら走っていく
「鬼子」の末裔である私は兵士として華南に派遣された若い父 のことを想起した
戦争のことを父は少しも語らず晩酌をして
いつも一人寂しく軍歌を歌っていた
父が悼んでいたのは亡くなった戦友だったろうか
はたして殺された中国の人びとも含まれていたろうか

家は「莫言旧居」と刻まれた土間に小さな竈と石臼がある
数部屋だけの質素な土塀作りの平屋だった
調度品の中には小さな円卓やラジオが一台置いてあった
給与の数倍をはたいて購入したラジオを聞いていたそうだ
さわさわと高粱畑を渡る風の音や
ラジオから流れる世界の音に耳を澄ませ
質素な机の上で祖父母や父の数奇な運命や「鬼子」との闘い
それらを包み込んだ幻視的な物語を紡いでいったのか
庭で秋空を見上げると柿の木が実を付けていた
莫言さんは秋になるとこの柿の実を食べていたのだろうか

外に出ると莫言さんの小説や土産物が売られている
本当はここで販売してはいけないそうだ
だが莫言さんに関係する村人たちがするのは黙認している
チャイナドレスの似合う女優のような詩人の盧戎さんが
「福」の漢字を切り絵にした『中國剪紙』を私たち三人にプレ ゼントしてくれた
紅く縁取った「福」の中には十二支の動物の切り絵がガラスの 額に納められている
鼠、牛、虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、猪が
楽し気に色鮮やかに描かれ切り抜かれている
「福」とは十二の生き物たちとその干支に生まれた人間たちが
この世に共存していくことであると語っているようだ
盧戎さんは私たちの幸せを願って手渡してくれた


7 青島の牽牛花

帰国の朝は小雨が降っていた
傘をさして青島の浜辺を歩いていると
堤防の下に赤い花が群れ咲いていた
その花を孫逢明さんの教え子で通訳の学生に尋ねると
知りませんと恥ずかしそうに言い
すぐに若者らしくスマホで調べて牽牛花らしいと教えてくれた
牽牛花とは日本語では朝顔だと分かった
遣唐使が日本に薬草として伝えたらしい
七夕の頃から咲くので中国では牽牛花と言われてきた
朝に咲き縁起がいいので日本で朝顔と名付けられたのだろう
日本の朝顔は暮らしに根付いて多様な品種に発展した
帰国の朝に朝顔の原種に出会えて不思議な巡り合わせだった

林莽さんと盧戎さんは磯でカニを見つけて手渡してくれた
蟹は私の手の中で暴れてまた磯に戻っていった
私たちは到着日に来たカフェを探したが休みで
遊歩道に沿ってカフェを探した
小雨の中でも「暖男」と花嫁の撮影は続いていた
レストラン風の二階建てのカフェに入った
林莽さんは絵を、高建剛さんは版画をスマホで見せてくれた
「林莽さんや高さんの絵や版画にはポエジーの血が流れていま すね」と
二階の窓越しに青島の海を見ながら作品の感想を伝えた
帰国の時間がやってきた
私たちは林莽さん、高建剛さん、盧戎さん、
北野さん、藍野さんたちと別れを惜しみ
再会を願って空港に向かった

  1. 2016/11/30(水) 17:28:54|
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詩誌コールサック84号

編集後記      鈴木 比佐雄

 今年の八月でコールサック社は出版社にして十周年を迎えたため新しい出版案内を製作し、その冒頭に次のような理念の言葉を記した。
〈コールサック社は、/宮沢賢治の「ほんとうの幸せ」を実践するための/「宇宙意志」を胸に秘める文芸・評論・芸術書の出版社です。//コールサックとは『銀河鉄道の夜』九章に記された「石炭袋」であり/暗黒星雲、異次元の入口、愛する人の住む幸せの入口の意味です。/ほんとうは誰もが豊かな詩的精神を持つ詩人であり、/この世に生まれた奇跡を感じ取りその美を生み出せる芸術家です。//そんな宮沢賢治のような、他者の痛みを感受し/生きとし生ける物すべての幸せを願う人たち、/歴史を踏まえ現実を直視する証言者でありながら、/次の時代を創るために有限な自己を踏み越えてしまう人たち、//内面の奥深くを辿り新たな「石炭袋」を想像してしまう、/詩人、俳人、歌人、批評家などの冒険者たちを/コールサック社は世界に発信し後世に語り継いでいきたい。〉
 季刊文芸誌となった「コールサック」(石炭袋)を土壌としてこのような理念を現実化していきたいと願っている。
 岩手の北上川の豊かな水量をまじかで見る度に、私は宮沢賢治の豊かな詩的精神を感受させられる。その清らかな流れは私自身が東北人でありその縁によって生かされることを自覚させてくれる。今年の秋は二度ほど岩手の花巻や盛岡などに行く機会があった。一度目は今年度の第25回宮沢賢治賞を吉見正信さんがコールサック社の刊行した著作集第一巻『宮澤賢治の原風景を辿る』・第二巻『宮澤賢治の心といそしみ』の二冊によって受賞したからだ。賢治の命日である九月二十一日には毎年賢治祭が羅須地人協会跡で開催される。私は二〇〇八年に『原爆詩一八一人集』(日本語版と英語版)が「イーハトーブ賞奨励賞」を受賞した時に初めて参加した。豊沢川を渡り当日の松林の小径には色とりどりの幻想的な蝋燭立てが足元に置かれ、それに導かれる羅須地人協会跡地は、賢治研究家や賢治ファンの聖地である。花巻の小中学・高校生や地元の人びとが詩碑「雨ニモマケズ」前でその詩などを朗読したり、作詞作曲した曲を歌ったり、童話を演じたりして、いかに賢治作品が今も愛され続けているかを再認識させてくれる。もう何回もこの賢治祭には参加しているが、見る度に眼下に広がる黄色い稲田や北上川や岩手山などの光景も含めて賢治の精神を身近に感じる。賢治の魂はこの松林を渡る風に乗って今も生々しく息づいている。二度目は岩手の詩人、俳人、批評家などと北上川のせせらぎの近くで著者の思いを聞き原稿の打ち合わせをした。北上川の水辺にいると何か豊かに満ちてくるものに促される。
 その前々日の九月十九日には、安保法案の参議院の審議打ち切りの採決があった。私は「子規の死す九月十九日未明国会死す」という句を記した。国家や財界が戦後目指してきた平和国家の理念を捨てて、ハイテク技術や精密加工技術を兵器に転用していくハードルを大した議論を経ずに楽々と越えてしまった。軍事に依存する経済になれば必ず米国のようなたえず戦争に加担していく状況が近未来に出現するだろう。恐ろしいのはそのことを確信犯的に政治家や財界人が本音を隠しながら既成事実化していき、いつのまにか私たちが加担させられていくことだ。
 十一月七日には『平和をとわに心に刻む三〇五人詩集』と詩文集『生存権はどうなった』の合同出版記念会を高円寺で開催した。全国から五〇名近い人たちが駆けつけてくれた。二〇一五年にこの二冊のアンソロジーを刊行できたことは、参加してくれた共同著者に心より感謝したい。平和と人権を直視しその意味を具体的で多様な感受性から書かれていて、この時代の背景が記されていて二〇一五年を象徴する書籍になったと私は考えている。その出版記念会で来年の詩選集である『非戦を貫く三〇〇人詩集』、『少年少女に希望を届ける二〇〇人詩集』、『海の詩集(約五十名・非公募)』の三冊の企画が発表された。その中の『非戦を貫く三〇〇人詩集』は「憎しみの連鎖を断ち、平和を創るために」というサブタイトルが付き、その呼び掛け文の基になった評論〈日本の詩人たちにとって「非戦」とは何であり続けるか〉を本号に記した。その中で日露戦争直前の小説『大菩薩峠』を書いた中里介山の詩「乱調激韵」は本格的な〈非戦詩〉であったと考えられて、その詩から〈非戦詩〉の系譜を論じた。この詩選集には詩人だけでなく他の分野の表現者たちやこれから集団的自衛権の名のもとに戦争に加担させられるだろう若者たちにもぜひ参加してもらいたい。志願した学生以外にも学徒増員で風船爆弾やその他の多くの兵器製造に携わった学生たちは、生涯にわたり心を痛め苦しみ続けてきただろう。そのように現代の最新兵器製造に関わる労働現場に巻き込まれる私たちもまた自己の平和思想を決定的に試されることになるだろう。マスコミ・出版界でもナショナリズムを煽り、韓国や中国を貶めて刊行部数を売ろうとする行為は、戦争に加担する導火線になっている。そのような編集の責任者・発行者たちは限りなく罪深いと私は考える。
 また元中学校教師で詩人の曽我貢誠さんが提案し編集にも参加してもらう『少年少女に希望を届ける二〇〇人詩集』は、大人世界の縮図のような学校現場の子どもたちや教師に希望を届けたいという熱い情熱から始まった。詩人には教育関係者の方が多いので、ぜひ多様な観点から教育現場に愛され活用される詩篇を書いて頂きたい。この二つの詩選集の公募趣意書も今号に掲載しています。ぜひご参加下さい。
 今号にも多くの詩篇が寄稿された。その中の心に残る詩行はたくさんあるがほんの少しだけ紹介したい。「戦争のできる国にゴリ押しでやった 人/この輝く月の光で 倒れろ/私は 白い花びらを何枚も集めてピカピカに磨いて/あなたを倒す」(「満月 一」秋野かよ子)。〈「百万本のバラ」の 一本が/私の心の奥にまで/深く届いたように/法案反対の十二万人もの声は/為政者たちの耳に 心に/届いたのだろうか〉(「『百万本のバラ』を聴いた夜」たけうちようこ)。〈あなたは あなたは本当に/その人を愛しているのですか?/私は殺人鬼と思われても/「頑張って生きろ!」とは言えないかもしれません〉(「最期」井上摩耶)。「空の高いところで/銀の鈴が鳴っているのは/見守られているという/心のぬくもりを まだ/忘れずにいるからだろうか」(「閉じられた窓」淺山泰美)。
 私にとってこのような詩篇を書き続ける詩人たちは希望であり、そのような詩を発表する場所である「コールサック」(石炭袋)をこれからも刺激的な場所にしていきたい。

  1. 2015/12/02(水) 18:26:45|
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